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「だるまさんがころんだ」とインセンティブ

先日ゼミの合宿で、体育館を貸し切って様々なボールを使った遊びをしていたときのことです。

ちょうど予定していたスポーツが終わったあとの自由時間に、なにかして遊びたいねという話を友人としていたところ、そう言えば小学生以来だるまさんがころんだってやってなくね?という話になって、急遽教授を巻き込んで十数人の大学生がだるまさんがころんだをやるという、なかなかシュールな状況が始まりました。

みなさんはだるまさんがころんだのルールをご存知でしょうか。と言うよりは、まだ覚えていらっしゃいますでしょうか、と言った方が正しいのかもしれません。

実際私もルールをうろ覚えで、その場でみんなで集まってルールの確認が行われました。

本当は別のルールがちゃんとあるのかもしれませんが、とりあえず、その場でコンセンサスが取れたルールをご紹介したいと思います。

まず、鬼以外は鬼が見てない間に鬼に近づき、タッチしてから10数える間に逃げることが出来、鬼はその場から10歩進んで他のプレイヤーを捕まえることが出来て、その中から次の鬼が決まる(ジャンケンなど)というものでした。

おそらくなんの変哲もないルールだとは思いますが、私はそこで、ぼそっと、ある言葉を無意識のうちに洩らしていました。

鬼にタッチするインセンティブなくね?

そう、鬼になることを1番に忌避するのであれば、スタートラインで突っ立っていることが最善の選択になるのです。なぜなら先述のルールでは、常に鬼からの距離に比例して、鬼になる確率が小さくなるからです。

この発言をした時、鋭い友人はこう、答えてくれました。

インセンティブとかそんなことは考えないの!みんな鬼にタッチしたいの!子供の頃からそうでしょ!

確かに、と思いました。子供の頃、インセンティブなんてものは一切考えず、みんな鬼にタッチしに行きたくて仕方がなかった記憶があります。

どうして、鬼にタッチしたかったのでしょうか。

小一時間悩んだ末、自らを鬼へと近づけた原因の候補をいくつか思いつきました。

1. チープなスリルを求めた

鬼にタッチすると、眠れる獅子を目覚めさせることになります。怖いもの見たさに竜の逆鱗に触れるスリルが、私を鬼に向かわせたのかもしれません。

2. 鬼という強者に対する反逆精神

鬼はタッチされたあと、誰も捕まえることができなかった場合、鬼の負けとなります。鬼の居ぬ間になんとやら、と言うように、絶対的な強者に対して一矢報いてやりたいという反逆精神が、私をドライブしたのかもしれません。

3. ゲームを楽しむための協調性

やはり全員がスタートラインで静止することがあれば、ゲームは進みません。そのため、全員で一歩鬼に近づく「はじめの一歩」という制度が整備され、参加者を鬼へと駆り立てます。そうまでしているのにも関わらず、一歩も動かない奴がいるようなら、みんなからの謗りは免れません。ゲームを素直に楽しむためには、協調性が必要です。同調圧力に屈して、鬼にタッチしに行きたくなりましょう。

ぱっと思いついたのはこのぐらいですが、他にもあるかもしれません。

本題はここからです。

実は、あまり一般的では無いかもしれませんが、私の子供の頃遊んだ際のルールに、タッチした人は無条件で次の鬼にはならない、というものがありました。

すなわち、タッチできた人は特権を手にでき、その次に鬼に近い2番手の人が捕まえられる可能性が最も高くなる、というものです。不逮捕特権ですね。

このルールを追加すると、鬼に近づく参加者間の競争が発生し、ゲームがより面白くなります。

不逮捕特権を手に入れられた後は、鬼から逃げまどう民衆の様子を高みから見物できます。英雄的視点が得られます。めちゃくちゃ鬼をタッチしたくなります。

しかし、2番手以下になってしまうと地獄、そこは最も危険な死の淵です。

こうすることによって鬼にタッチするインセンティブを極限まで高めることができます。なぜなら、他の順位全てに捕まる可能性があり、全員がトップを目指すからです。

たった一つのルールを付け加えるだけで、劇的に面白くなるゲーム。その背景には、人々の曖昧だったインセンティブを明確化し、競争を激化させる、というバックボーンが存在していました。

大学生になってようやく、当時の何気ない遊びの画期的さに気づいた、とある日の午後でした。

イマドキ珍しい自給自足の大学生に、あなたのお恵みを。