見出し画像

蓮華寺池と敗北の美学

温暖な静岡だが、寒明けの日が待ち遠しい。藤枝市にある蓮華寺池公園では冬桜がまばらに花をつけている。

蓮華寺池公園の冬桜(R6.1/25)

毎日歩いているが、無心で歩いていることがほとんどない。無心で歩くことは意外と難しい(無心で歩くことを目指しているわけではないが)。歩いていれば必ず何かを考えているし、考え始めてしまう。歩くことで気づかされる季節の変化にも意識が引っ張られていく。しかし閑(かん)でも考(かんが)えるでも楽しいのが散歩の醍醐味だ。

蓮華寺池公園、若王子古墳からの眺め(R6.1/25)

池といえば今年は暖冬のために諏訪湖が凍らず、「御神渡り」が見られないことが話題になっている。御神渡りとは諏訪湖に張った氷が割れて、一本の筋のように湖を横断する状態を指した自然現象だ。湖にできた氷の筋道はタケミナカタノカミ(建御名方神)が通った跡だという。

タケミナカタは『古事記』の国譲りの話でタケミカヅチ(名前が似てる)に力比べを挑み敗北、諏訪から出ないことを誓った神様だ。負けた神も祀られて敬われるところに神話の面白さがある。敗れる、挫折するところに美しさを見いだすのは、同情とは異なる詩的感覚だと思う。寂しさにも悲しさにも悔しさにも静謐な味わいがある。

先日行われた格闘技イベントONEで日本の武尊選手が惜しくも敗北を喫した。勝つために戦ったのだから、その点においては0か100。勝敗は当人たちにとってのリアルで全てだろう。しかし見ている側は勇敢に戦った選手に心を動かされる。屁理屈めいていても、そこに人生の敗者はいないと言いたい。

この記事が参加している募集

散歩日記

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?