見出し画像

ぬるい眠りをなぞって眠って、眠りたいだけ眠ってみせてよ①

 家にあったので持ってきたおっとっとを食べながら、少し散歩をする。スナック袋を抱えて慣れ親しんだ、しみったれた近所を歩く。私は柊平さんのことを考えていた。柊平さんの指や、爪の形、少し踵が鳴る歩き方なんかのことを。
 おっとっとはパリパリと小気味いい音を立てて砕けてすぐに消えてなくなるので、私は次々と口の中に入れてしまう。私が魚介類の形を舌で読み取り、今のはカニだった、イカだった、これは絶対にマンボウ、レアだよレア、などと毎回報告するのを柊平さんは面白がった。袋の半分を空にしたところで、ちょうど通りかかった二級河川の割に控えめな橋の上から、水面に向かってザラザラと中身をふるい落とした。
 今日はなかなかどうして、散歩中どうでもいいことばかり思い出した。私は大学の課題をしながら、家事をしながらみたいに何かしながら音楽を聴く"ながら聴き"ができない。かといって、スピーカーからだらだらと音楽を流して聴くのも好きではない。唯一音楽を集中して聴けるのが散歩の時だけだった。スナック菓子を目黒川の桜さながら、橋の上から舞い捨てたのはタイミング良く、古くさいJUDY AND MARYのそばかすが流れて「ヘヴィー級の恋は見事に 角砂糖と一緒に溶けた」の部分が当てつけのように耳に残ったからだった。私は流石にAirPodsを外して無造作にポケットに入れ、早く家に帰ろうと思った。ばかばかしい。おっとっとだけじゃおなかが空くのはわかっていた。

 シュリーレン現象を目にすると、私はきまって気持ちが強張り、不安になる。つい、これでいい、私はこうしたい、と自分に言い聞かせて気丈に、強情に、頑なになってしまう。
 小学生の頃、月に一回だけ両親から一冊本を買ってもらえた。基本的には文庫本でも漫画でも雑誌でも。でも「何でも好きなものを選んでいいけど、一冊だけだよ」と言われたのにもかかわらず、漫画を持っていくとやんわりと拒絶されて、両親にも耳馴染みのあるような文豪の本を持っていくと目を丸くして褒められる。それでも私はその時買いたいと思ったものを曲げずに買ってもらっていた。
 本を買った後は家族で併設されているカフェにほとんど毎回入った。その時に頼んだ、夏ならアイスティー、冬ならホットティーでシュリーレン現象と出くわすのだ。シュリーレン現象とは水とか空気みたいな透明な物質の中で、所々の温度の違いで光が屈折して、もやもやとした揺らぎが見えることで、真冬のストーブの上の空気とか、炎天下のアスファルトの上に現れる逃げ水とか、そういったものだ。私はカフェで運ばれてくる熱い紅茶で角砂糖がもやもやとしたむらを纏いながら溶けるのを何回も見た。アイスティーに入れたガムシロップが茶葉の色が移った液体の中を揺らぎながら底に溜まっていき、それを何回もストローでかき混ぜた。シュリーレン現象を目にした後は必ず、両親の顔を見ないようにして買った漫画や本に没頭するのだ。その時は決まって指先に力が入り、鼻の奥がツンと痛んだ。

 柊平さんと別れてから1カ月になる。柊平さんは新聞社の校閲記者をしているが、ちっとも日本語に興味があるようには見えなかった。LINEも5往復に1回は誤字脱字があったし、話し言葉もいわゆる「ら抜き言葉」の議論がある単語は絶対"ら"が抜かれていた。
「なんで記者じゃなくて校閲記者になったの?」
 いつか私が聞くと、柊平さんは、
「なかったから、熱量が」
 と答えて、俺に、とつけたした。それじゃあ校閲記者は取材記者の下位互換と見なして熱意がこれっぽっちもないのに、毎日8時間刑務作業のように黙々とできるものなのか、私は本気で不思議である。
 柊平さんとは、半年間一緒に暮らした。柊平さんは私が好きだったし、私は柊平さんが好きだった。それは、すごく純愛だったと思う。会ってすぐ、ほとんど直感的に、私たちはお互いを理解し、恋をした。
「ラッコって求愛がOKされた後、しばらく一緒に波に揺られて過ごすんだって。なんか私たちって最初から、静かな海に浮かんでるみたいだったよね。二人で、手を繋いで。それが当たり前みたいに。不思議と水は冷たくないの」
 ずいぶんたってから、私は柊平さんにそう言ったことがあった。確か水族館で言ったと思う。
 私たちはよく、「てやん亭」という飲み屋でデートをした。「てやん亭」は渋谷の今再開発が進んでいる桜丘エリアの坂の途中にひっそりとある沖縄料理のお店だった。私たちはそこでオリオンビールを一杯ずつ飲んだ後、グァバサワーをグラスの縁につけてある塩を舐めながら少しずつ飲み進めては語り合った。何時間でも、そうしていられた。柊平さんが、子どものころ大工の棟梁になりたかったということも、中学校のときにもうやめようと思っていた野球を後にプロ野球選手になる同級生から「もったいないよ」と言われ、高校に入っても続けたということも、それが密かな自慢だということも、私はこの店で知った。
 柊平さんは普段からお喋りだったが、お酒をのむと輪をかけて饒舌になり、私は片田舎で育った男の子が経る事象や物事、つまり経験がどんなものかよくわかったし、柊平さんが「いいな、俺も東京でイマドキの女子大生をしてみたかったな」と変なことを言ってくるのを笑って聞き流したが、正直彼の立場に立つとその気持ちが少しわかった。
 柊平さんが奥さんの話をしなかったのは、奥さんがいることをかくそうとしたからではない。私たちの恋にとって奥さんがいるかいないかなんて、どうでもいいことだったのだ。これはひどく傲慢なように、あるいはひどくいいかげんのように、聞こえるかもしれない。しかし世の中には、そう言うふうにしか恋ができない人間がたしかにいるのだ。
 はじめて柊平さんのマンションに遊びに行ったとき、段ボール箱があちこちに積み上がり、まるで引っ越ししたてで荷解きがまだ終わっていないような部屋だった。もちろん家庭の匂いなどこれっぽっちもしなかった。
「一人で暮らそうと思って。正確に言うなら、別居することになったんだ」
「そう。奥さんはどこにいらしてるの」
「今は熊本の実家にいるよ。帰ってる」
 そう、と私はもう一度言い、その話は、それでおしまいだった。

(続)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?