論97.ヴォイストレーニングの声について(10140字)
〇タイプA
まず根本的なところでは、人類全体の共通のタイプということで、タイプAを考えます。
そのなかで、日本で育った日本民族の標準型Aダッシュとします。
地域や育ってきた環境による差というのを入れると、一個人は、Aダッシュのさらにダッシュです。
そうなるとベースから、派生した日本、さらに、細かく地方、地域となるわけです。
そこに後天的な環境、教育を入れてみると、いくつかの類型に分けられると思われます。
しかし、今回に関しては、これをとにかく人間としての共通の要素Aを中心にみます。
それに対して、その人自身のベストの発声というものを想定します。これは、男性、女性など性差でも違いますが、それよりも、その人の個人的な資質や育っていた環境からみたときの理想としてのもの、つまり、その人のオリジナルの発声、共鳴に根ざすものとします。
さらに、その上に、歌を伝えるところaを想定します。これは、ソロのポップス歌手の場合は、1つでよいでしょう。
ただ、その人が、オリジナルというところと一致しないところ、踏まえないところで、歌おうとするのであれば、別の形をとります。
つまりは、発声、共鳴のベースですが、これは歌唱のその人のイメージや作品として出したいところとなります。
ややこしいのは、この時点において、オペラ、ミュージカルように、あらかじめ定められている条件があり、規定や制限されるときです。
たとえば、与えられた曲の声域を、自分のベストの声域に移調して設定できないなどというときが、それにあたります。また、ものまねや声優のように、人物によって声を変えなければいけない場合も、です。
役者や噺家は、さほど声を変える必要はないのですが、声優、ものまねの歌唱の場合は、大きく変えることが求められます。そうなると、ここでも、Aとaとの違いが大きいことになるでしょう。
歌唱のタイプとして、a、b、cなどと、分化することもできるでしょう。ミュージカルで、男性役と女性役の両方をこなす人などは、この極端な例の一つです。
〇発声と共鳴
どちらにしろ、発声、共鳴のベストというところと、歌唱のベストというところが違う、
あるいは発声、共鳴のベストなどより、歌唱の作品として評価するときに全体のバランスで考えなくてはならないのです。すると、どうしてもバランスの調整優先になるのです。
だからこそ、ヴォイストレーニングなら、発声、共鳴のところで、強化、鍛錬をして、その器を大きくし、少しでもその延長上で声域をカバーできるように考えた方がよいということです。
器が同じだと考えると、発声共鳴でパワーを使う声量に使っていた器を、声域のほうに回すというような考え方、つまり、声量を半分ほどに抑えることによって、1オクターブ半の歌唱声域を確保するというアプローチが、最も早い上達法になります。巷のトレーナーのほとんどは、そういう対応でしょう。
そのとき、ヴォイストレーニングの役割は、ていねいに声を調整するということになります。
しかし、基本の条件が欠けていたら、調整はできても、ていねいにすることができません。どうしても、ベースでは、部分的なところで行うのではなく、全身を使って行うことが必要です。それは、どちらかというと、最初は、声量、パワーで捉えていったほうがわかりやすいのです。
大は小を兼ねる、より大きく作ることによって、小さく細かくできるようにするのが、身体に技術を身に付けるときの前提であり、鉄則です。
ただし、声の場合は、筋力を大きくして脱力して得ていくのではありませんから、ここの部分で、どうしても無理なケースが出てきます。
昔、体育会の体力、筋力トレーニングのようにして、盲目的に鍛えて、声が習得できたのは、結果的にそれにあっていた人に過ぎなかったと思っています。
体育会の気質の生徒も多くみていたので、その長所と短所を知りました。
体力、勢い任せ、若さで歌うようなヴォーカルに向いています。もちろんヴォーカルはそういうタイプだけではないのです。
〇バランス調整☆
そうでない場合は、声量をつけようと考えずに、歌唱のほうから調整していくことをすればよいわけです。今のヴォイストレーナーのほとんどのスタンスはそのようになっています。そのことによって、大きくバランスを失うことはなくなるし、声域の広い曲をカバーできたり、裏声やファルセット、喚声区での処理がしやすくなります。
簡単にいうと、声を薄く弱めに使うことです。
マイクがあるポップスならでは可能といえるでしょう。
しかし、それでは、裏声と似てきて、誰でも似たような声の歌唱になっていくわけです。
それとともに、歌唱でのメリハリやパワー不足、つまり、歌唱力においては、制限され、限界が出てくるわけです。
昔の歌い手のように1オクターブのシンプルな歌でストレートに歌唱力で勝負することなどには、不向きな歌唱スタイルとなっていくでしょう。
私がヴォイストレーニングで最初に考えたのは、声の鍛錬ということですから、そこは同じ声であれば、より徹底して使えるようにしていくということです。そのために足らなければ、より強化していくということです。シンプルに、声量、大きな声ということからでした。
トレーニングとは、基礎においては、負荷トレーニングであり、バランスが一時的におかしくなるのは、むしろ当然ということです。
これは、すぐに効果が上がるとか、その日にうまく声を出すというような目的からは逆行します。声の出せる身体、感覚をしっかりとつくっていくことです。
次は、ロングトーン、つまり、声を伸ばすことで、発声のための身体づくりをメインとしました。強さ、大きさよりも、安全なのと、歌唱のフレーズに結びつけやすいからです。
ロングトーンからレガートへ移行する方が、スタッカートからレガートよりも、理にかなっているし、感覚も変えずにすみます。ただ、共鳴のバランスをすぐに頭声のような上部に頼るのでなく、むしろ胸のひびきを充分にキープすることを意識します。
つまり、調整でなく鍛錬、バランスでなくトレーニングにするのです。☆☆
〇トレーニングでの優先
トータルとして、発声のフォーム、そして呼吸のフォームを完成させていくということです。フォームというのは、形だけでは作れません。形を教えたところで、そういう形が結果として取れるだけの身体能力や感覚が伴わないと無理が生じるだけです。
何年か続けて、そのためのトレーニングを持続していかないと、中身は伴っていかないわけです。だからこそ、トレーニングというのでしょう。
そこで、スポーツや武道のように、はっきりとした高い目標がないと、どうしても、これは、付け焼き刃のほうに流れてしまいます。現状、他のところでは、そういうことが多いようです。
本当にしっかりしたヴォイストレーニングをやっていたら、3年後、5年後と、声が変わっていく、魅力的な声になっていくはずでしょう。
そうでなくとも、プロの声、強い声になっていくし、大きくもメリハリもつけて出せるようにもなっていくものです。
そこが変わらないのに、高い声が出せたり、歌の音程やリズムが外れなくなったり、発音がよくなりして、それで、うまくなったということであれば、それはそれを目的にしたトレーニングをしたと見た方がよいわけです。私からみると、副次的効果であり、本来の目的とずれているのです。
考えなくてはいけないのは、どちらを優先するかということです。
たとえば、高い音に届かせるような出し方を覚えてしまった後に、声量を増すというのは、かなり難しいことです。それに対して、声量がついているところから、声域をとっていくというのはむしろしぜんなことだと思います。
しっかりと身体で共鳴させるような発声ができてきたら、それは倍音になって、高い音での共鳴感覚が取れるからです。
誤解を恐れずにいえば、低音でしっかりと共鳴させたら、その中に1オクターブ上の倍音が感じられ、そこにしぜんと移行して、その音が取れるのです。
というのが、ひびきに当ててとるなどという小手先のやり方よりも、確かな進歩なのです。
これは、話し声の延長に歌声をおく考え方で、まったく別に歌声が出せるという方向からのアプローチもあります。裏声、ファルセットから入るという考えなどです。☆
〇守りのトレーニング
最初に声域、高音域ありきというのは、いまどきの最も需要のあるところです。しかし、長い年月でみたときには、声の耐久力やパワーということで、自ら限界を先に作ってしまっていることになりかねません。
ヴォイストレーニングも、どこかで、いかに安全に喉を痛めないようにするかの守りに入ってしまうものです。そうなると、まるで健康法のようなものです。高齢者には必然でしょう。
しかし、プロをめざすスポーツ選手なら、それでは上達しようもないでしょう。ハイレベルな表現につながるものにはなりようがないでしょう。
まれに、そのやり方から、うまくいくこともありますが、大体の場合は、トレーナー止まりです。声そのものを強化するという目的が含まれていないからです。
このときに、どういうことが行われているかというと、たとえば、プロの人の声であれば、そのなかでも、よくできているものとあまりよくできてないものが混在しています。
1人でヴォイストレーニングやっていくと、大体できてないほうにできていることが寄せられて、全体的にできない方に合っていきます。☆
より長く伸ばすとかより高くするとか、より大きく出すと、明らかに、悪い方向に行くのです。母音でも同じで、うまく出ているものと出ていないものを同時にやっていくと、うまく出ていない母音にうまく出ていた母音がよっていき、よい発声では、なくなっていくわけです。
このときには、その人は、より根本的な目的や条件があることに気づかないわけです。発声、声質、音色、魅力的な声という観点からみていないからです。☆
〇逆行
たとえば、高い声が出せるようにしていくというような目的のセットは、その最も大きな原因になります。
私からいうと、その人の同じ器の中で、急いで、高い声にしていくのは、今までしっかり出ていた声を、薄く使うことによって、声域のほうにその能力を寄せることになります。
簡単にいうと、できてたものを殺して、できていない方にもっていくわけです。ちょっとしたごまかしの繰り返しで固めていくことを、上達と思っていくわけです。
これは、とてもわかりやすい例です。なぜなら、高いところが出ないという現実に対して、もし同じ条件下で、高いところが出たとしたら、状態を変えたからです。コツかクセか、それは何らかのテクニカルなやり方で、表面上、行われたに過ぎないからです。本当にしぜんに出たわけではありません。
もちろん、たまたま、うまく出たということの裏で、呼吸がよくなっていたなど、よいコンディションで起きることはあるでしょう。
しかし、そうでない同じ条件で、できないことができたということは、それはできたのではなく、条件が変じた、動かしてはいけない基本が崩れた、ごまかしたということです。
テクニカルということは、この場合、クセをつけたということです。
声楽の場合は、こういうクセをつけてしまい、声量、音色、共鳴が失われてしまうと、通じませんから、まともな先生からは、そんなことをしても仕方がないということで、正されるでしょう。
同じ音質のところで、声を作っていかなくては、モノになりません。ビブラートもかかりませんし、シンガーズフォルマントも出てきません。
ところが、ポップスの場合は、マイクがありますから、その高さにさえ届けば、なんとでもならなくはないのです。できたと勘違いしてしまうわけです。
高い声が出た、しかし、そのパワー、よい音色もほとんどなくなっているわけです。
これは今まで低いところで出していた、それなりの伝わる声が、その高い声を出すことによって低いところも大きな声が出ないことによって、気づくはずです。
つまりは、頭の中で、声域ばかりに気がいってしまい、声量や音色が犠牲になっているのに気づかなくなっているわけです。
でも、本人もトレーナーも満足なら、私からいうことはありません。
〇間違いを蔓延らせる土壌
当たり前のことですが、できているなら、そこは課題とならないわけです。できていないから課題となるのですから、できていない状態を維持して、できていく条件の方を整えていかなくてはならないのです。
それができたということは、本当にできたのであれば、できないというような問題にならないわけですから、何かしら、違うことを行ってしまったのです。
その違うことがよいことか悪いことかということであれば、先ほど私がいった通り、できていたことを犠牲にして、できない方に揃ってしまったというふうに考えた方がよいわけです。
もし、できているのであれば、そこは、できていないと思われないでしょう。声は届いているし、しぜんとよい声で歌えているはずだからです。
そうでないことが発声やヴォイストレーニングで起きることは、気をつけなければならないのですが、マイクを使えるポップスの中では、高い声に、とにかく届けばよいとなり、カラオケと同じように、そこは無視されてしまいがちです。
むしろ、トレーナーが、そういうクセの使い方を教えたりもするのです。トレーナー本人も、そういうクセで歌っている場合も多く、その場合は、本人も区別ができていません。
本人にしか通じないからクセであるわけで、それゆえに、そのクセは、本当の意味では、他人がまねても、さほど使えるものとはなりません。
それは、なかなかうまくいかないから、結果として、そのトレーナーは、自分以上の声での歌唱ができるように生徒を育てることができないのです。そういう例をたくさん見てきました。
根本的なところで、方向がそれているわけです。
しかし、高いところに早く声が届けばよいというだけの人からは、それは重宝されるわけです。クセがまるでテクニックのように教えられ、短期に習得できるからです。
ピアノでいうと、そのキーに指がなんとか届いたというだけです。姿勢も構えも崩れているのです。音色が安定しないのをマスターしたとはみなされません。☆
これが演奏に耐えると思うことはおかしいことなのに、実際、ポップスのヴォーカルの中では、音響技術により加工できます。どんな音であれ、その高さに届いていたら声を素材として使えるようになったからです。
そういう価値観で新しい考え方、新しい歌が誕生することは、ここで否定しても仕方がないので、ここで止めます。
〇まとめ
ここまで述べてきたことをまとめてみます。
人類共通のベースの発声というものがあり、その延長上に、自分自身のオリジナルの発声に興味があるということです。タイプA。
それに対する歌唱というのは、いろいろなスタイルを取ります。タイプaなど。
タイプAに基づくことが最も望ましいのですが、いろいろな展開をすることがあります。そういう場合は、その展開に応じて、いくつかのパターンを自分なりに捉えておくとよいでしょう。
タイプAの発声、共鳴のところは、声の器を大きくするために、強化鍛錬トレーニングができます。
タイプaの歌唱においては、どちらかというと、歌に合わせたところの調整となります。つまり応用です。ですから、どうしても、柔軟やコアトレーニングのような考え方が中心となりやすいのです。
声は、歌やせりふに応用すると、細く浅くなりがちでよいですから、そこはトレーニングでは、あえて、太く深くと考えた方がよいでしょう。
音色については、なかなか基準があいまいでわかりにくいので、単純に大きく強くすると考えてもよいでしょう。ただ、そのようにすると、大体が、高く、細く、薄くなってしまうので、そうならないように気をつけます。難しければ、長く伸ばす、その音色、共鳴を統一するということにしましょう。
こういうものを読まないで、自分自身で行うと、逆の方向に行ってしまいがちなのです。だからこそ、逆のことをやればよいわけです。身体トレーニングでのフォームづくりでは、そういうのが、一般的です。☆
多くの人は、自分でよいと思い込んで、その方向でトレーニングをするからです。
それで多くの人がすごくよくなっているのであれば、それは、正しいトレーニングといえますが、少なくとも日本において、歌がうまくなっても、声がよくなっているという例は、非常に少ないわけです。
そうしたら、そこで根本的に何かが違うと思えばよいのではないでしょうか。
声と歌は分けたくはないのですが、日本の現状をみると、一度、分けて考えるとよいと思います。☆
次に、それを歌唱ということでフレーズとしてつなげていきます。
ロングトーンが基本です。
レガートでドレミレドのスケールを入れてみるとよいでしょう。
その上で、ヴォカリーズ、母音の発音をいれます。ここでは発音のためのトレーニングではないので、子音や他の音も含めて、最もうまく出る音を使えばよいわけです。
他の課題でなく統一音声が第一の目的です。
低音域においては、ガ行などを使うことが多いです。踏み込めるような音で、胸に響きを感じやすい音です。
これは高音における、鼻濁音、ハミング、マ行やナ行などの練習とは、逆です。
もちろん、結果として、同じことなのですが、共鳴の感覚として、高音域の場合は、胸よりは、顔面、頭頂部、眉間の間などに体振動の感覚が集まりやすいからです。
〇地声のつかみ方
高音の共鳴のマニュアルについては、あらゆる声楽の参考書にも述べられています。
ここではセリフで使う話声域、歌唱でいうと、低音域、地声のヴォイストレーニングについて、述べます。
まずは呼吸であって、息の圧力において、それを完全に声にしていきます。すでに、そういう発声をしていると思いますが、ここでは、それを伸ばして使えるようにするわけです。
息がコントロールできているかということと、その息を完全に声にしているかというところがポイントです。
声にするところは、声立てということで、ハスキーになったり、息漏れがしないようにします。そのために、吐く息を充分に用意しておき、声にする瞬間をキャッチし、そのままに圧をかけて伸ばしていくものとなります。
声を発するところの起声、維持するところ、切るところと調整していくのです。力ずくでなく、均等な息の圧力で伸ばしていきます。これが、ロングトーンです。
役者や声優の場合は、その前に言葉としていい切るところで、声にすることもあります。歌唱でいうと、スタッカートに当たります。
そして、ロングトーンから、それを音階に適用すると、ドレミレドのようなスケールでのレガートの練習になります。音の高さが変わるのですが、トーンは変えないことです。その切れ目がわからないように、なめらかにつなげます。
一方で、共鳴や発音のほうに持っていくと、これは、ヴォカリーズやハミング、子音などによる発声トレーニングになります。このときは、発音を明瞭に区分けするのではなく、あくまで発音で左右されないように、均質で同じ共鳴を揃えていくことを目的とします。
どちらも、できていないところをできている方に揃えていく方向で行うことです。先に述べた通り、その逆を行ってしまうことがほとんどなので、最も注意すべきところです。
時に、お経を唱えているように聞こえることもありますが、それはまさに理想です。言葉ではなく、その意味ではなく、声そのものの力で働きかけているということです。祝詞、声明、曼荼羅のように捉えてみるとよいかと思います。☆
詳しくは、私の、「ブレスヴォイストレーニング基本講座」や「ブレスヴォイストレーニング実践講座」の中で、述べています。
〇調整と条件づくり
問題は、今の声を調整しながら伸ばしていく方向にするのか、新たに声をつくるというようなことで行っていくのかによって、方向が変わってきます。
はっきりと、これが二分されるわけではないところで、トレーニングのメニュやノウハウとしては、ややこしい問題となっています。
つまり、習得したという人の中でも、それがどのメニュによってどのぐらいにおいて効果が出たかということは、証明しようがないのです。しかも、この調整や強化は、歌の中でも行われます。
もともと歌がうまくて、歌っているうちに伸びていった人の場合は、歌うなかで、あらゆることが理想的に行われていたのです。つまり、そうした感覚があり、それに対応できる喉、身体があったということです。
ここで述べたいのは、そういう人たちが、その限界を破っていくこととともに、そうでなかった人たちが、その条件をどのように身体に身に付けていくかということです。
〇状態から条件に
声というのは、非常に曖昧なものです。ただ、大きな声で怒鳴ったり、力ずくで出そうとしても、喉に力が入ってしまってうまくいきません。
ですから、自分や身の回りの人で、声がしぜんに大きく響いたときの状況や状態を、きっかけとして見るのが、わかりやすいと思います。
もちろん、心身に関わるものですから、精神状態がよく、身体の状態がよいときに、それが出やすいでしょう。呼吸がエネルギー源ですから、それなりに呼吸がしぜんと深くなっているときに起こりやすいわけです。
そういうことを考えていくと、これまでの人生の中で、そのように声が出たことを思い出せる人もいるのではないでしょうか。
たとえば、スポーツのクラブなどで、声を出して練習や試合をしているとき、最初は声が出にくいはずです。それが、いつの間にか、出やすくなっていくでしょう。
さらに出し続け、休みを入れなかったり大きな声を出したりしたら、喉が痛くなったり声がかすれてしまうでしょう。それが次の日に続くこともあるなどという経験があれば、自分なりにまとめてみるとよいでしょう。できたら、自分以外のチームメートなどの様子も参考になると思います。
〇最高の状態で
そういうなかで、私自身がよく耳にすることは、練習や試合などが終わってリラックスしたとき、整理体操や片付けなどをしているようなときに、声がとても楽にひびくように出るということです。
緊張状態がほぐれたということもあるし、暗くなったりして、まわりが静かになったようなこともあるでしょう。何よりも、人の声や車、雑音などが少なくなり、静かな空間になっていたのかもしれません。
グラウンドだけでなく、体育館などでは、なおさら体験しやすいと思います。
つまり、そういうときには、役者、歌い手などが、声を使うのに、理想とするような状態が、案外と、心身状態の中で起きているといえます。
私が、スクールなどのトレーニングのことで、危惧して注意するのは、緊張状態を強いてしまうために、いつもの普通の声さえ出にくくなることです。
これは、たとえば、英会話の教室の初回、講師が英語の実力を見るみたいな形で、会話をしても、ほとんどしゃべれないわけです。それが、何回か受けるだけで、それなりにしゃべれるようになっていく。あるいは、わずか1時間後でも喋りやすくなっているでしょう。
これは、英語の会話力が向上したからではありません。単にリラックスができて、緊張状態でなくなったために、これまで学んでいた英語が口をついて出やすくなっただけです。
それを、あたかもレッスンの効果のように宣伝しているようなスクールもあるわけです。
もっとも当たり前のように、その効果を使っているのが、ヴォイストレーニングの体験レッスンやワークショップでもあるのです。
医者の前で血圧を測るだけでも、血圧はいつもの状態よりも緊張した状態で上がってしまいます。ですから、家に帰ってみて測ってみると、平常の値であることも、よくあるわけです。
こうしたことで、トレーニングの効果や本人の満足に直結してしまっていることは、あまりにも、レベルの低いことです。早く知って切り抜けたほうがよいでしょう。
つまり、トレーニングというからには、自分の状態をよくするのではなく、そんなことに関係なく、差を示せなくてはならないのです。
それには、自分の状態の最もよいところから始めるべきです。
それとともに、自分の状態の悪いときには、状態がよくできるように、どうすればよいのかを用意できるようにしていかなくてはなりません。
声については、案外とわかりやすいものです。自分自身で、あらゆるシチュエーションの中での声の出方を、考えてみればわかっていくのではないでしょうか。
本当にわからなければ、録音して比べて聞いてみることをお勧めします。現状把握がないところに、上達はありません。
現場での調整をしなくては、最も状態の悪いところが、状態のよいところにして、その調整だけで満足してしまうのです。
それでは、本当の意味で、条件を変えるほど上達したとはいえないわけです。
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