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Bboy EP.11 「Hibiscus」

【BREAKIN DOCUMENT 挨拶】

 この度は、「BREAKIN DOCUMENT」~Learn for various bboys life~にアクセスいただきありがとうございます。こちらでは、日本中の多才なbboy(ブレイクダンサー)たちのインタビュー記事を掲載していきます。 
 私が出会った中には、サラリーマン・医者・農家・フリーランス・公務員など様々な方々がブレイキンというダンス・カルチャーを生活に取り入れています。彼らは、それぞれ美学をもちブレイキンをライフスタイルとして取り入れ、今もなお踊り続けています。
 私は、彼らが何を思い踊り続けているのか、ブレイキンが彼らの生活の中でどういった位置づけにあるのか興味があり、このプロジェクトを始めることにしました。 
 本ブログでは、ライフスタイルにブレイキンを溶け込ませ今も踊り続けているbboyたちに焦点を当て、彼らの生きざまを記録し、発信していきます。そして、購読者様の「bboyマインドの形成及びライフスタイルを充実させるための考え方の引き出しとなること」、「これからブレイキンを始めてみたい人たちのバイブルとなること」を目的とし、協力者様の貴重なインタビュー記事を掲載させていただきます。 
 この活動を通じて、関わってくださった皆様の生活が豊かになることを願っております。

※なお、活動で得られた収益は、「BREAKIN DOCUMENT」の活動・イベントに使わせていただきます。
※ 記事内で使用させていただいている写真に関しては、インタビュイー様から承認いただき、ご提供いただいた写真を使用いたしております。



1.  プロフィール

・Bboy名:Hibiscus
・レぺゼン:Campolargo(長野)・WORLD IS YOURZ・Sweet Budo boyz
・職種:葡萄園(農家)
・年齢:34歳
・ダンス歴:16年

2. ブレイキンを始めたきっかけは?

 大学で上京したんですけど、もともと子供の頃から高校までずっとサッカーをしていました。でもそろそろサッカーは、もういいかなって思っていた頃でした。
 ヒップホップがもともと好きだったので、上京してから、クラブに行ってみることにしました。初めて行った時は、最初クラブでどういう風に楽しんだらいいのかが分かりませんでした。
 なので、周りをキョロキョロ見ていたら、ダンサーではないんですけど、音楽を聴いてのっている人がいるなって気づいたんです。
 そこから、やっぱりダンスとか踊れた方がクラブも楽しめるのかなって思いました。あとは、単純にモテたいなって思ったんですよね笑
 それから、大学のダンスサークルに入って、始めたのがきっかけです。
 でも、大学時代は本当にサークル内でしかブレイキンをやっていませんでしたね。サークルダンサーみたいな感じでした。
 ストリートにも全然出てなくて、行ってはみるんですけど、そこに仲間が来るわけでもなかったですね。
 自分自身やはり、直接会う人から影響を受けることが多いです。その時に影響を受けたBboyが、今は愛媛にいるんですけど阪神さんという方ですね。
 阪神さんは、当時ブレイキンをガッツリやっている方でした。ストリートでもCREWがありましたね。サークルはみんなで、ワイワイするところみたいな感じでよく来てました笑
 そこで、阪神さんと仲良くなって、色々外の練習場所に連れて行ってもらったり、色々bboyのことを教えてもらいました。もっとガッツリやった方が絶対楽しいよって感じで自分を引っ張ってくれました。それから徐々にBboyにはまっていきましたね。
 そのあと、大学を卒業してからは、ストリートの練習にも出だして、自分の練習場所って言える所ができました。それからまたそこでの出会いもあり、どんどんブレイキンにのめり込んでいきましたね。
 大学を卒業してからは、そのまま東京でフリーターをしながら三軒茶屋ストリートで練習していました。その時に、DAMN GOODのkoseさんに出会いました。 
 koseさんは、フットワークのスタイルがかっこよくて影響を受けていますね。koseさんは学生時代に、海外で踊ったり、向こうの文化に触れることが楽しかったって当時言っていました。彼は、LAに行って、現地のラジオで音楽をかけてビーチに行ったと話していました。そこから自分も海外に興味を持ち出しましたね。
 その時、自分はアメリカのBboyが好きで、skill methodzのabstractが好きでした。それで自分がいいなと思うBboyに会ってみたいと感じるようになりました。
 彼らに会って、どういう環境でどんなことを考えているのか、ライフスタイルやダンスについて知りたいと思うようになったんです。
 それでアメリカに長期で行きたかったんですけど、学生ビザか、渡米前に仕事を決めておく就労ビザしかなく、取得するためにはハードルが高かったんですよね。
 せっかく行くなら1年くらい行きたかったんです。なので、アメリカの隣のカナダは、ワーホリで1年間働きながら行けると知りました。なので、フリーター時代に貯金し、実家に帰って準備してからカナダに行きました。
 そのカナダまでの準備期間で地元のBBoyと初めて仲良くなりましたね。そこまでは、地元にあまり繋がりがありませんでした。そこでのつながりが後々のカンポラルゴというCREWにつながりました。
 そして、バンクーバーで1年間過ごした後に3月間アメリカを一人旅しました。その後は、長野に帰ってきて、実家の農家に入った感じです。
 カナダ時代の話をすると、バンクーバーはそんなにBboyシーンが大きいわけではありません。どちらかと言えばトロントの方がモチベーション高くしているBboyが多いイメージです。
 バンクーバーは、うまい人がちらほらいるみたいな感じでしたね。日本でいうと地方と都市みたいな感じです。
 バンクーバー時代に日本人とも会いましたよ。今愛知にいるBboyのchaboさんとかですね。その時、chaboさんは、自分と同じルームメイトだったんですよ笑 彼は、飯作る時もアイソレをするぐらい、本当にダンスが好きな人ですね笑
 アメリカの1人旅のエピソードを話すと結局、3ヶ月アメリカに行ったんですけど、前述した会いたいBboyのabstractには会えなかったんですよ。
 多分skill methodzメンバーは、LAやハリウッドで仕事でいるんじゃないかみたいな感じで会えませんでした。LA Bboyとの繋がりがなかったので、会えずに終わっちゃいましたね。
 でもアメリカの1人旅は、知り合いがいない環境で、ろくに英語の勉強もしなていなかったから、なかなか大変でしたね笑
 バンクーバーにいる時は、日本人もいるし、日本人慣れした現地民も多いので、そこまで英語を話さなくても何とかなったんですよ。
 バイトもやっていたんですけど、キッチンだと英語も使わないので、上達はしなかったです。
 でも、1人でアメリカを旅したことは、コミュニケーション能力の向上にもつながりました。あと、そこでできたつながりと今でも交流があったり、SWEET BUDO BOYZができるきっかけにもなりました。
 そこが1番アメリカ旅で大きな出来事でしたね。これらの経験を通じて、ブレイキンが生活の一部になって、今でもやり続けています。

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