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高校の卒業旅行と、反原発の叔父さんとA君の話

高校3年の春、仲の良かった男女4人グループで長野に卒業旅行に行った
自分にとって忘れられない思い出になったこの卒業旅行と、原子力発電のことと、A君のことについて、当時を思い出しながら忘れてる部分は多少脚色を入れながら書く

大学受験も終わった3月、確か4日間の旅行だったと思う
卒業旅行という青春っぽい行事に憧れていた私達は、都会の子達のように沖縄とかディズニーとか、そういうキラキラした場所に行くという発想は無く(公立でバイトも禁止だったからとにかくお金が無かった)
グループのうちの一人、A君が"セミリタイアした叔父が白馬のログハウスに住んでて、タダで泊まらせてくれる"と持ちかけてきた話に飛びついた

スキーウェアを詰め込んだ大きなスーツケースを抱えて京都北部の片田舎から長野まで、青春18きっぷを主に使ってたっぷり半日かけて旅をした
岐阜のとある駅からうどんが関東風の濃い出汁になってるとか、エスカレーターが左側だとか、そんなことを喜々として喋り続け
優しそうな叔父さんが一人で住む、白樺に囲まれたログハウスに辿り着いた時には、もうすっかり夜になっていた
みんなで作ったクリームシチューを食べながら旅の予定をあれこれ話していると
叔父さんは「宿泊費はいらないと言ったけど、食費も他の費用も全て出してあげる」と突然切り出した
流石にそれは悪い、ある程度お金は持ってきていると返事すると彼は「その代わり、夜寝る前に毎日少しだけ叔父さんの話に付き合って欲しい」と真剣な表情で言った
一体どんな話だろうとドキドキしていると「原発についての話だ」とA君が代わりに言った

叔父さんは高専を卒業後地元を離れ中国電力に入社
社会インフラを支える電力マンとして働いていたが、山口県上関の原発計画に携わることになり
自治体、会社、世論に翻弄される中で徐々に反原発思想に傾いていき、50代で中電を早期退社した
その後白馬のログハウスを知り合いから購入し早めの隠居生活をしている、ということだった

それから三日間、夜寝る前の1時間程度、叔父さんから原発に関する色んな話を聞いた
実は原発が無くても日本は電気不足にならないとか、原発がいかに環境にとって危険かという話だったと思う
正直に言うと、その内容を私はあんまり正確に覚えていない
しかし、彼の真剣な表情と「原発は町や村をバラバラにしてしまう」という言葉は妙に印象に残っている
過疎化に悩む自治体が、補助金や雇用の確保、国の仕事だから絶対に安心だという言葉を信じて、まるで悪魔と取引をするように悩み苦しんで受け入れるのが原発だと、彼はそんなことを言っていた
4人の中で唯一、A君だけは食い入るようにその話に聞き入っていた

叔父さんによる"原発講義"以外は、その旅行は至って普通だった
白馬のスキー場でスキーもしたし、みんなで軽井沢にも行った
彼が長野で一番のお気に入りだという店で、生まれて初めてほうとうを食べた
存分に長野を堪能、あっという間に最終日となり、叔父さんと別れた私達は、帰りの電車の中でほとんど眠っていた 

私達は4月にそれぞれの進路に進み、私は京都で大学生として一人暮らしを始めた
A君はどこかの私立大学に合格していたが、第一志望だった国立大に落ちたとかで大阪の予備校で一年間浪人生活をしていた
比較的住んでいる場所が近かったので、大学に入学した後もA君とは時折飲みに行っていた
彼は勉強漬けの日々の中で引き続き原発について色々なことを調べているらしく、私にその内容を一生懸命教えてくれた
私はその話がつまらなかった訳ではないけど、ど田舎を抜け出して掴み取ったキャンパスライフや、新しく出会った仲間達のことに夢中で、あんまり真剣に聞いてはいなかった
そんな私の心を見透かしていたのか、A君は少し寂しそうな顔をしていた気もする
A君は翌年無事志望校に合格し関東に渡った、それからはたまに行われる同窓会でしか、彼とは顔を合わせなくなった

時は過ぎ、大阪のとある企業に就職した入社1年目の3月、東日本大震災は起きた
オフィスが高層階にあったため私達のいるフロアも大きく揺れ、私達は階段で何十分かかけて汗だくになりながら地上に避難した
震源地は関西ではなく、遠く離れた東北だとその後で知った
そしてあの原発事故、メルトダウンのニュースが全国を駆け巡った
物凄い後悔が私を襲った

なぜ自分はあの時叔父さんやA君の話をちゃんと聞いておかなかったのだろう
なぜ自分の頭でこのことをきちんと考えておかなかったのだろう
なぜ…
別に自分が原発の知識をつけていようがいまいがあの事故は起きていたわけだが、得体の知れない罪悪感が消えなかった
福島には一度も行ったことは無かったけど、あの日以降自分の身体にべったりと、決して消えない汚れようなものが付いてしまった感覚がする

その後私は少しずつ、原子力発電の歴史や建設の経緯、もんじゅの事故、原子力規制委員会や新基準についてなど、色んなことを調べ始めた
使用済み核燃料の廃棄場所も廃棄方法も決まっておらず、青森の小さな自治体が仮処分場として一部を受け入れていることも知った
なぜ田舎の小さな自治体ばかりがこんなに苦しまなければならないのだろう…

同時に世の中には再生可能エネルギーというものがあり、太陽光や風力、バイオマスや波力など、様々な発電方法が日々研究され大きく伸びつつあると知った
よく考えれば私の地元にも雄大な陸上風力発電のプラントがあった 自分の勤めている会社も、それらの事業にかなり携わっていることも知った
未来はそんなに暗くないのではないかと少しずつ思えるようになった

今私はエネルギー問題について多少の知識を得て、人に説明するくらいのことはできるようになった
生きていく上で、決して目をそらしてはいけない問題だと今は思っている
それは全て、A君と、あのログハウスに住む叔父さんのおかげだ