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落語とわたし。


12月になりました。
落語ファンならそろそろ「芝浜」を聴きたくなる季節です。


振り返るとわたしは子供の頃から常に落語文化に惹きつけられていました。
それは第1期〜第3期までの時期に分かれていたらしい、
ということに気がついたので、
落語文化とつながるわたしの歴史について
だれの特にもならないこと、、書いてみたいと思います。
奥深くて楽しい落語リスペクト、という角度も含めて。


思い返すと小学校の図書室で、わたしは落語小噺の本ばかり読んでいました。
今でも覚えている内容は「もう半分」。
この噺はちょっと怖い噺。

当時はわかりませんでしたが、この噺は
噺家さんはもちろん、落語ファンなら絶対に知っている
明治時代の大師匠、三遊亭圓朝作の怪談噺です。

わたしが当時読んだのは小学生向けの本なので
挿絵付きの単行本サイズのものだったと記憶します。
何項目かの小噺が収まった本を、一度だけでなく何度も借りて読んだような。。

こわいはなしが好きだったのでしょう、
もう半分の舞台、酒屋の店の雰囲気や、
行商老人の顔色、お酒を持つ手の雰囲気、
行灯の灯り、赤ちゃんの目つき、、、いろいろと
脳内で想像をして楽しんでいたのだと思います。

図書室に江戸落語、というカテゴリーがあったのかどうか
でもそのようなタイトルの本がいくつかあり、
放課後の図書の時間には多分ほぼ、偉人伝を横目に
そのカテの本を見て過ごしていました。
あと、江戸川乱歩の本、これは挿絵も表紙の絵も怖くて怖くて
ちょっと読んでは書棚へ戻していました、、、何してんだか。
これがわたしの第1落語期。

小学校を卒業し、中学時代は
しばし落語の世界からは遠のいていて、
絵を描いたり、the Monkees にハマったり笑、
周りはたのきんトリオだセイコちゃんだと言っているような、、
YMOがカッコいい、デヴィッドボウイもカッコいい、そんな時代。

高校では美大に行こうと決めたので、
デッサンに明け暮れる日々。美大ではデザインを学び、
デザインやファッション、カルチャーに敏感に反応し街を楽しみ、
クリエイターの巨匠たちに憧れを抱く日々。

そしてデザイン事務所に入ることになるのですが、
その仕事場のボスがものすごい落語好きで。当時はカセットテープ時代ですが、
何十本もの名人と言われる噺家のカセットテープを持っていたことがきっかけで、
再び、小学生以来、落語を聴くことがノーマルな日常になるのでした。

その頃よく聴いていたのは
5代目古今亭志ん生。8代目桂文楽。6代目三遊亭圓生。3代目三遊亭金馬。
どの噺家さんも個性があり、間違いなく楽しい。ですが、
わたしが何と言っても好きだったのは
お酒を飲んで高座に上がる、飲みすぎてろれつがまわらない、
ちゃんと落語をしない、なのに楽しい、志ん生落語でした。


「人」がおもしろい。おもしろい「人」とはちょっと違うのです。
上方で活躍していた桂枝雀さんもよく聴きましたが
やはり志ん生を聴く方が好きでした。

仕事場なのに耳は名人の落語。
この時期、大人になったわたしの中に「落語」が確実に染み込んでいきました。
でも噺家さんになりたいとは思わなくて、聴くのみ。
忙しい仕事の合間に聴くことで癒されていたのでしょうね。
これが第2落語期。

この頃は立川談志さんも活躍していました。
最寄駅ですれ違ったこともあります、しかしごめんなさい、
わたしは5代目古今亭志ん生まっしぐら。そして、息子である
志ん朝さんまっしぐらでした。

志ん生さんといえば「火焔太鼓」ですが
わたしは「居残り佐平次」が好きで。。。


忙しかったデザイナー時代。そして
子育て期を経て、疲労から少し解放されたころ、
世の中にYouTubeが現れ、何気なく検索したのが
落語、でした。やっぱり染み付いています。

しかし昭和の古い噺家さんの動画は音のみで、画像は動きません、、
噺家さんの動画はそうアップロードできるものじゃないですが。
新しい真打(噺家のトップの位)さんの名前がどんどん出てきます。
聴いたこともない噺家さんの名前、
演目も古典じゃない、知らない新作噺の動画。

再生したのは「午後の保健室」。

いや、もう。打ちのめされたのを覚えています。
「まくら」と言われる、本題に入る前の無駄話世間話が異様に長く、
全部で40分ほどの動画でしたが
最後の10数分でたたみかけるような本題「午後の保健室」。
前半はほぼ世間話、、、、。
それでも全体がひとつにまとまった高座で、
聞き手は心地よいスピード感でゴールへ運ばれる感じでした。

ここからが第3落語期。

この演目の制作と演じていたのは柳家喬太郎さん。
今やもう、何も言うことがないほどすごい噺家さんです。

最近出版された喬太郎さんの本を見ると、
わたしが中学〜高校生頃、原宿だYMOだ竹の子族だと言っていた
その原宿歩行者天国で、
若き喬太郎さんが座布団一枚路上に敷いて1人、
落語を喋っている写真が掲載されています。
わたしがヘラヘラしていた頃に、
喬太郎さんは既に落語まっしぐらだったのですね、なんてかっこいいんだろう。

喬太郎さんに対して落語マニアという言い方は失礼だろうと思います、
なんて形容したらいいか。もう、以下は喬太郎リスペクト文になりますが
先にも書いた、明治時代の圓朝落語をほりおこし、
また、誰も演じなくなった廃れた噺をほりおこし。
その意外でもあり真っ当でもある観点が落語ファンにはとても面白く、
惹きつけられます。
演じる喬太郎さんは時に軽やかで、時におどろおどろしく、
「赤い部屋」「死神」「指物師名人長二」「お札はがし」は
喬太郎さんとともに現場(物語のなかの)に居る気持ちになり、それはわたしには
小学校図書室で感じていた感覚かもしれない湿度感と緊張感です。


目。喬太郎さんの目は鬼気迫る時があり、いや、いつも鬼気迫っている目。。
それに気付いてしまったファンはきっとたくさんいることでしょう。
ファンはその表情にも釘付けです。

あの時YouTubeで偶然であった喬太郎さん。
同じ時代に生きててよかった。
落語好きなわたしにとって大袈裟ではなく
そう思わせてくれる現代の噺家さんです。


喬太郎さんの「午後の保健室」のあとに衝撃を受けたのは「時蕎麦」。
こちらは古典噺ですが、
「喬太郎さんの」時蕎麦と、前置詞が必要な「時蕎麦」です。
別名「コロッケ蕎麦」ともいわれるほど、擬人化が面白いもの。

わたしは関西の環境に住んでいた時期が長く、
「吉本新喜劇」や「松竹新喜劇」にも鍛えられていますが、
落語は上方落語よりも江戸落語が好みで、
第3期は喬太郎さんに出会えたことで現在進行形の江戸落語ファン。
喬太郎さんの新作と古典を中心に聴きまくる、そんな落語期で今に至っています。

他のたくさんの新しい真打さんも楽しみで、寄席では真打だけではなく、
前座さん、二つ目さん(噺家階級は3段階、前座→二つ目→真打)の仕事ぶりも
見ていて楽しいもの。あの人はきっと早く真打になるだろうな!などと
予想する楽しさも。もはや噺家追っかけ。。
小学校図書室からはじまった安定の落語ファンがここに居ます。


ちなみに好きな寄席は上野鈴本演芸場。
12月は定番の人情噺「芝浜」がかかります。
感染対策きちんとして時間チェックして行きたいところです。
喬太郎さんの師匠である柳家さん喬さんの芝浜は泣き崩れそう、、、。


「もう半分」

ある夫婦は、永代橋(千住大橋とも)のそばで小さな注ぎ酒屋(=店内で飲ませるサービスを行っている酒店)を営んでいる。そこへ、60歳を過ぎたと思われる行商の老人が毎晩やって来る。老人は、1合の酒を一度に頼まず、まず「(一合枡に)半分だけお願いします」と5勺だけの酒を注文し、それを飲み終わると「もう半分」と言ってまた5勺を注文する、という変わった酒の飲み方をしていた。店主が理由をたずねると、老人は「その方が勘定が安くなり、量を多く飲んだ気がするからだ」と言う。
ある日老人は、店に風呂敷包みを置き忘れたまま店を出る。店主が「また明日も来るだろうから、包みをしまっておこう」と持ち上げると、やけに重いので不審に思う。包みを開くと、50両もの大金が入っている。「この金があれば念願の大きな店が持てる」と悪心を起こした夫婦は、慌てて取りに戻ってきた老人に対して知らぬ存ぜぬの態度を貫く。老人は涙を流しつつ、「娘が吉原へ身を売って作ってくれた金だ」と明かすが、結局落胆して店を出て行く。老人は、橋から川へ身を投げる。
しばらく後、酒屋夫婦に赤ん坊が生まれる。ところが、生まれてきた赤ん坊の頭は白髪で覆われ、その顔は、かつて身を投げた老人そっくりだった。店主の妻は、ショックのあまり寝込み、そのまま死んでしまう。店主は「子供を育てることが老人の供養になるだろう」と思い、乳母を雇う。ところが、みんなつぎつぎと1日で辞めてしまう。店主は物事に動じず強気だ、という評判の乳母を雇うが、その乳母もひと晩で「辞めたい」と申し出てきた。店主が理由をたずねると、乳母は「自分の口からはとても言えないので、ご自分の目で確かめてほしい」と言う。
その晩、店主は乳母と赤ん坊が寝ている隣の部屋に隠れて、様子を見届けることにする。丑三つ時(=午前2時頃)、それまで寝ていた赤ん坊が急に起きあがり、乳母の寝息をうかがいつつ、枕元の行灯の下に置いてある油さし(=行灯へ油を補充する道具)から静かに油を茶碗に注ぎ、それをうまそうに飲み干す。
店主は「おのれ爺(じじい)、迷ったか!」と叫び、部屋へ飛び込む。赤ん坊は茶碗を差し出し、
「もう半分」


「三遊亭圓朝」

圓朝による新作落語には名作佳作とされる作品が多く、
多数が現代まで継承されている。
特に『死神』は今も多くの演者が演じている。
圓朝は江戸時代以来の落語を大成したとされ、
彼の作による落語は「古典落語」の代表とされる
(現在では大正以降の作品が「新作落語」に分類される)。
人情噺では、『粟田口霑笛竹』や『敵討札所の霊験』、『芝浜(異説あり)』。
怪談は、明治の三遊亭圓朝25歳の時の作品『牡丹燈籠』。
『真景累ヶ淵』『怪談乳房榎』などを創作した。
また、海外文学作品「グリム童話」の翻案、『死神』。
『名人長二』(発表:1887年。原作:モーパッサン「親殺し」)。
『錦の舞衣』(発表:1891年。原作:ヴィクトリアン・サルドゥ「トスカ」。
後にプッチーニにより1900年にオペラ化される『トスカ』の原作)』がある。
奇談としては『鰍沢』(三題話)など。

志ん生の伝記「なめくじ艦隊」では
志ん生もすごいけど、おかみさんもすごい、ことがわかります。


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