【No.165】ミッシェル・ポルナレフ(フレンチポップス・シンガー)の思い出(その他)
ミッシェル・ポルナレフ(フレンチポップス・シンガー)の思い出
私のミッシェル・ポルナレフとの出会いは、小学5年生の時です。
私は小学5年生のとき、独学でピアノを始めました。
2つ歳上の姉がすでにピアノを習っており、家にアップライトピアノ(アコースティックピアノ)がありました。
私はバイエルをさらったあと、すぐにポピュラーソングの練習を始めましたが、その1曲目がミッシェル・ポルナレフの「愛の休日」でした。
その後「忘れじのグローリア」を練習しました。
また、ポルナレフの「シェリーに口づけ」はエレクトーン曲で有名ですし、テレビCMのBGMに使われる事もあります。
ミッシェル・ポルナレフ(Michel Polnareff, 1944年7月3日 - )はフランスの歌手、シンガーソングライター、コンポーザー。
フランス共和国ロット=エ=ガロンヌ県ネラック出身。フランスでは国民的歌手としての人気があり、日本でも「シェリーに口づけ」「愛の休日」「愛のコレクション」「愛の願い」「哀しみの終わる時」「愛の伝説」「悲しきマリー」「悲しみのロマンス」「渚の想い出」「火の玉ロック」などのヒット曲で知られている。
シングル以外では「ラース家の舞踏会」「ロミオとジュリエット」なども人気曲である。70年代前半の日本で、非常に高い人気を誇った。
名前の発音はフランス語では「ミシェル」に近いが、日本では長年「ミッシェル」とのクレジットが慣例になっているため、当記事ではこれに倣う。
7月3日、第二次世界大戦の最中、両親の疎開先だった南仏のネラックで生まれる。
父親のレイブ・ポルナレフ(1899-1975)はウクライナ南西部のオデッサ(旧ロシア帝国)出身のユダヤ系ウクライナ人の音楽家で、1923年にフランスに移住した。
上記、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より。
1966年に「ノンノン人形」でデビュー。
ポルナレフは色の濃い、大きなサングラスがトレードマークになっていますが、これは彼のシャイな性格と白内障を隠す為だと言われています。
チリチリのヘアースタイルもトレードマークになっていますが、デビューアルバムのジャケット写真がロングのストレートヘアーなので、パーマをかけていると思われます。
小学6年生のとき、母親にポルナレフのベスト盤アルバム(LPレコード)を買ってもらいました。
そのとき初めて「愛の休日」のオリジナル曲を聴きました。
同じメロディーを繰り返す単調な曲ですが、独特な雰囲気が良いです。
1960年代のロンドンでのレコーディングで、マスターの音質はアメリカのものよりも劣ります。
オケにフルオーケストラが使われており、「ラース家の舞踏会」ではパイプオルガン、「ギリシャにいるジョルジナへ」ではギリシャ楽器のリュートが使われていました。
エレキベースにはプレシジョンベースが使われています。
ミッシェル・ポルナレフはフランス語で歌っていますが「愛の休日」や「悲しきマリー」は出だしのフレーズを英語で歌っています。
それで少し親しみが持てます。
中学3年のときに、音楽好きな学習塾の先生に「愛の願い」のピアノ譜の掲載された音楽雑誌をいただきました。
1975年にアルバム(LP)「ポルナレフ U.S.A.(原題:Michel Polnareff / Fame A La Mode)」が発売されました。
すべて英語で歌われており、ポルナレフを世界的に有名にしようと試みたのかもしれません。
私はこのアルバムを大絶賛していますが、アメリカではあまり売れなかったようです。
このアルバムでの私の好きな曲は「僕のレディ・ブルー」と「失われたロマンス」です。
1977年に「哀しみのエトランゼ」が発表されました。
ポルナレフのフランスへの思いが込められた、もの悲しくも美しい印象的な曲です。
最近また、ポルナレフが聴きたくなって、ベスト盤のCDを買いました。
ミッシェル・ポルナレフは時代に関係なく、いつまでも楽しめるフレンチ・ポップスだと思います。
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