アナログ派の愉しみ/映画◎三島由紀夫 出演『人斬り』

「エゝ面倒くさい」
そこに切腹の仕儀を見た



五社英雄監督の『人斬り』(1969年)は幻の映画といわれてきた。そこには自衛隊乱入・自決事件を起こす前年の三島由紀夫が出演したことで知られながら、これまでほとんど鑑賞する手立てがなかったからだ。ところが、さきごろ五社監督の没後30年企画としてソフト化されたことにより、わたしもついに長年の宿願を叶えられた次第。果たして、その内容は想像以上に強烈なものだった。

 
幕末の京都が舞台。尊王攘夷に名を借りた権謀術数が渦巻くなか、土佐勤皇党の領袖・武市半平太(仲代達矢)の懐刀として、天性の殺し屋・岡田以蔵(勝新太郎)は敵対する連中を片っ端から血祭りにあげる日々を送っていた。だが、その名前が都じゅうに轟きわたるにつれて、下賤の出の自分をいつまでも飼い犬のように扱う武市に反発するようになり、むしろ、同じ土佐藩出身で政治的立場を異にする坂本龍馬(石原裕次郎)や、殺し屋稼業のライヴァルである薩摩藩の剣士・田中新兵衛のほうに親しみを覚えていく……。

 
映画の参考文献とされた司馬遼太郎の小説『人斬り以蔵』(1964年)では、ほんの端役に過ぎないながら、橋本忍の脚本によって準主役級にクローズアップされたこの田中新兵衛こそ、三島由紀夫が扮した役だ。映画が完成したあと、三島は読売新聞へ寄せた体験記でつぎのように述懐している。

 
「ただやたらに人を斬った末、エゝ面倒くさいとばかり突然の謎の自決を遂げる、この船頭上りの単細胞のテロリストは私の気に入った。〔中略〕何といっても五社監督の本領は立ち回りで、立ち回りのシーンの撮影になると、もう監督の目の色がちがう。現場全体の空気が躍動してきて、スタッフの目も血走り、役者はもとより張り切って、無上の興奮から全員子供に返り、血みどろの運動会がはじまる校庭のようになってしまう。私も大よろこびで十数人と斬りまくったが、大映京都撮影所が一年間で使う分量の血ノリを、その日一日で使ってしまったそうだ。フィクションとはいいながら、殺意が、そこにいる人すべてを有頂天にするというのは、思えばおかしな人間的真実である」

 
なるほど、スクリーンのなかの三島はしゃにむに役に立ち向かい、長年にわたる剣道や居合の稽古の成果だろう、自信たっぷりの殺陣を披露している。ただし、そうは言っても、仲代、勝、石原などのプロフェッショナルな俳優たちに較べたら、しょせん文士の余技に過ぎない三島の演技が見劣りするのは当たり前のこと。セリフは棒読みに近いし、立ち居振る舞いはぎこちないし……と、背を反らして眺めていたところ、ふいに目が釘付けになった。

 
三島の顔つきがヘンなのである。どう説明したらいいのか、両眼はきょとんと見開いてこわばったふうなのに、口元のへんは薄ら笑いを浮かべてしまりがない。つまり、顔の上半分と下半分の表情がちぐはぐなのだ。他方、仲代は頭のてっぺんから爪先まで冷酷な黒幕に、勝はどこか憎めない暗殺者に、石原は人情に厚い改革者に、それぞれがなりきっていて見事なのだけれど、もし現実に相手と命のやり取りをするような状況に置かれたら、そんな調和の取れた佇まいではなく、三島のように頭のてっぺんから爪先までちぐはぐに反応するのが本当ではないか。すなわち、俳優にとって自己と役柄はあくまで別人格なのに対して、当時、天皇国家のための私兵集団「楯の会」を率いていた三島においては、自己と幕末の志士の役柄がひとつに溶けあっていたのだろう。

 
以蔵はいったん裏切りかけた武市の命令により、ライヴァルの新兵衛の刀を使って変節漢の公卿を殺すことを余儀なくされる。かくて新兵衛は所司代の嫌疑を受け、現場に残された刀を証拠に差しだされると、すかさず手に取っておのれの腹を掻っ捌く。その決断も動作もあまりに唐突なのだが、おそらく切腹という仕儀もまた、現実にはかしこまって作法どおり行われるより、慌ただしく取るものも取りあえず、ちぐはぐな挙措のあげくに完遂されるものなのに違いない。

 
このとき、三島は片肌を脱ぐなり、ボディビルで鍛えた上腕部の筋肉を見せびらかすようにして刀をみずからに突き立てた。そして、翌年11月25日に「楯の会」のメンバーと陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地へ乗り込み、東部方面総監室で割腹自殺を遂げた際も、そっくりそのままの動作が繰り返されたのではなかったか。わたしは、映画を前に戦慄しないではいられなかったのである。

 


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