アナログ派の愉しみ/音楽◎ビルギット・ニルソン歌唱『踊り明かそう』

「彼とならひと晩じゅうでも!」
猛女が天真爛漫に喜びを炸裂させた


オペラには、しばしば「猛女」が登場する。これまで録音が残っているソプラノ歌手のなかでわたしの知るかぎり、そうした役柄を演じて至高の存在はビルギット・ニルソンだ。

 
1918年にスウェーデン南部の農家に生まれ、幼いころから歌が好きで、両親の反対を押し切ってストックホルム王立音楽アカデミーに進み、教師からも「農家の娘に歌手は無理」と言われたのをはねのけて、アカデミーを卒業した1946年にウェーバーの『魔弾の射手』のアガーテ役でデビューして以降、その出自にふさわしい牝牛のような巨体が発揮する強靭な歌唱力で、またたくに世界各地のオペラハウスを席巻していくのだ。こうしたキャリアを眺めるにつけ、ただの英才教育など吹き飛ばしてしまう、「声」という人類にとって最高の楽器の不思議さを思わずにはいられない。

 
 そんなニルソンがひときわ得意としたのは、まずワーグナーの壮大な『ニーベルングの指環』で、主神ヴォータンの娘ながら父親に叛いて世界の変革をもくろみ、最後にはみずから火を放って天上の神々を焼き滅ぼすブリュンヒルデ。同じく『トリスタンとイゾルデ』で、国王の婚約者の立場にもかかわらず自分を護衛する騎士にクスリを飲ませて、不倫の愛欲を貪りながら陶酔のうちに果てるイゾルデ。また、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』で、ヘロデ王に請われてストリップショーまがいのダンスを披露した報酬として預言者ヨカナーンの生首を要求し、その血まみれの唇に接吻する題名役。同じく『エレクトラ』で、実父の国王を暗殺した母親と愛人への復讐を誓い、弟とともについに仇討ちを成し遂げると狂喜乱舞して息絶える題名役。あるいは、プッチーニの『トゥーランドット』では、美貌の姫君でありながら、自分との結婚を望む貴公子たちに謎をかけて答えられないと次々に首を刎ねていく題名役――。

 
よくもまあ、と呆れてしまうぐらい猛々しい女たち。超ヘビー級の難役をこれだけ演じてのけた歌手は他にいないだろう。実際のステージに接したひとの報告によると、その声はレーザー光線のように広大なオペラハウスでも最後部までまっすぐ届いたという。しかも、あくまで健康的なエネルギーに支えられていたため、たとえどんなに常人離れした役柄であっても決して病的な危うさに陥ることなく、だれもが安心して(?)猛女たちのクレイジーぶりを鑑賞することができるのだった。

 
そのニルソンに珍品の歌唱の記録がある。カラヤンがウィーン・フィルを指揮したヨハン・シュトラウス2世のオペレッタ『こうもり』のレコード(1960)年だ。ただし、ニルソンが登場するのは本編ではなく、第2幕のフィナーレで繰り広げられるガラ・パフォーマンス(特別ゲストの歌合戦)で、なんとミュージカル『マイ・フェア・レディ』(1956年)からのヒットナンバーをうたっている。ロンドンの花売り娘イライザが、淑女への変身をめざして言語学者ヒギンズのもとで正しい話し方を学ぶことになり、厳しいレッスンを重ねてついにマスターした感激を炸裂させる『踊り明かそう』だ。

 
 私ったら、ひと晩じゅうだって踊り明かせたわ
 それでも足りないくらい
 翼を思いっきり広げて
 これまでやれなかったことを
 なんでもできる気がしたの
 あんなに興奮したわけがわからない
 どうしていきなり心が羽ばたいたのかしら
 私にわかっているのはただ
 彼といっしょに踊りはじめたら
 ひと晩じゅう踊れた、踊れた、踊れたってことよ

 
有名な映画(1964年)ではオードリー・ヘップバーンがぶかぶかのパジャマ姿で可憐にうたうこの歌は、ニルソンがふだんステージで演じている猛女たちの歌とは対極のものだろう。そんなギャップはおかまいなし、天真爛漫にハメを外しまくって、まさにイライザよろしく心が浮き立ってしようがないといった風情なのだ。農家に生まれてオペラ歌手への夢を育んだ彼女にとって、花売り娘が社交界に憧れて胸をふくらませる気持ちは自分のものでもあったのか。ともあれ、このほんの3分ほどの歌唱はうたうことの喜びをあからさまに伝えてきて、わたしたちも自然と顔がほころんでしまう。

 
ただし、よほど興が乗ったのだろう、最後にオクターブを駆け上がって轟かせた高音はむしろ怪獣の咆哮というに似つかわしく、もしそのときいっしょに踊っている男性がいたら卒倒してしまったに違いない。


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