アナログ派の愉しみ/音楽◎伊福部昭 作曲『SF交響ファンタジー第1番』

ゴジラのテーマ曲はなぜ
われわれを鼓舞するのだろうか


読売日本交響楽団の定期演奏会で、伊福部昭作曲『SF交響ファンタジー第1番』(1983年)を聴いたことがある。指揮は山田和樹。『ゴジラ』『キングギドラ対ゴジラ』『宇宙大戦争』『フランケンシュタイン対地底怪獣』『三大怪獣 地球最大の決戦』『怪獣総進撃』の6本の特撮映画のために作られた音楽からピックアップして、ひとつながりの管弦楽作品にまとめたものだ。わたしにとっては懐かしい旋律のオンパレードだが、もちろんのこと、オーケストラの実演で耳にするのは初体験だった。

世界で最も有名な怪獣であろうゴジラが、ズシリズシリと迫ってくる重低音の導入部に続いて、あの、ドシラ・ドシラ・ドシラソラシドシラ……の旋律が湧き起こる。平日の夜のサントリーホール(東京・赤坂)に子どもの姿はまばらで、もっぱら身なりのいい中高年の男女が座席を占めていたけれど、そのとき、かれらの頭や肩がリズムに合わせて一様に揺れはじめたのを目の当たりにして、この音楽がもはや日本人のDNAに深く刷り込まれていることを実感したのである。

当夜のプログラムがそのあと、グリエール作曲『コロラトゥーラ・ソプラノのための協奏曲』(1943年)、カリンニコフ作曲『交響曲第1番』(1895年)と続いたことにも示唆されているとおり、ゴジラの音楽のルーツは北方にある。伊福部は1914年北海道・釧路に生まれ、小学校の近くにはアイヌの集落があってその古謡に魅せられたという。やがて札幌に移ってヴァイオリンを弾くようになり、北海道帝国大学農学部で学びながら管弦楽部に所属して、卒業直後に作った『日本狂詩曲』(1935年)がロシアのチェレプニン賞を受賞したことで本格的な作曲活動に入った。

第二次世界大戦の無条件降伏から9年後に公開された本多猪四郎監督『ゴジラ』(1954年)では、南洋の水爆実験により古代の巨大生物がめざめたと設定されているが、同じ海域で多くの人々が戦死を遂げた生々しい記憶も重なっていたろう。その魔手からは決して逃れることができない災厄を体現しつつ、ゴジラは東京湾岸に上陸して戦後の東京を踏みにじり、放射能の炎で焼き尽くしていく……。

この映画の音楽を担当した当時、伊福部はアイヌの人々への共感をほとばしらせた『タプカーラ交響曲』の作曲に取り組んでいた。先述したゴジラのテーマもまた、旧作『ヴァイオリンと管弦楽のための協奏曲』(1948年)から引用したモチーフを拡大して、北方の土俗的なエネルギーを注ぎ込んだものだが、これは本来、防衛隊が戦車や戦闘機を繰り出してゴジラを迎え撃つ場面に用いられている。あたかも巨大な災厄に立ち向かう人間たちの、たとえ敗北を喫しても未来への希望を鼓舞してやまないかのように。

つまり、こういうことではないだろうか。北半球の中緯度に位置して、南北につらなる日本列島にあっては、長い歴史を通じて、新たな生活技術や文化・宗教は南方からやってくるのがつねだった。のみならず、台風・豪雨などの自然の猛威や、海のかなたの異国の脅威といった災厄も南方からやってきた。それらをときに迎え入れ、ときに迎え討ちながら、北方の地で脈々と培われた音楽を、伊福部は現代によみがえらせたのだ。

昭和、平成と、ゴジラの映画が趣向を改めて繰り返されるたびに、伊福部の音楽も再生を重ねて、いつしか世代を超えて日本人のDNAに深く刷り込まれるに至った。話題を呼んだ最新作『シン・ゴジラ』(2016年)のエンドロールでは、『SF交響ファンタジー第1番』に組み込まれたものも含めて数々の旋律がいつ果てるともなく鳴りわたって、伊福部へのオマージュに捧げられていた。そして、令和の時代を迎えたいま、遠からぬ将来にやはり南方からの襲来が予測されている巨大地震の災厄に国を挙げて立ち向かうときにも、ゴジラのテーマはきっと強靭なリズムをもってわれわれを鼓舞し慰謝してくれるに違いない。


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