アナログ派の愉しみ/音楽◎深沢七郎 歌唱『楢山節』

自然の懐に抱かれて
あることの和やかな諦観の唄


ギターをかき鳴らしながら、しわがれた声がうたう。

 
 楢山祭りが三度来りゃよ
 栗の種から花が咲く

 
ギョッとする。歌詞の意味は、3年たてば3つ年を取る、という単純なものながら、村では70歳になると楢山まいりに行く慣わしがあるので、お年寄りにそのときが近づいていることを知らせるためにうたわれるのだ。

 
手元のCDの深沢七郎の自作・自演になるこの歌には、『楢山節』の題がつけられている。すでにお気づきの方も多いだろう。その歌詞に沿って物語を進めていく形式で、70歳を迎えた「おりん」が息子の辰平に背負われて楢山まいりへ出かけるまでを描き、姥捨ての伝説をいまに蘇らせた小説があの『楢山節考』(1956年)なのだ。深沢は当時、ギタリストとして出演していた日劇ミュージックホールの楽屋で原稿を執筆したという。

 
中央公論新人賞を受賞して世に出たとたん、かまびすしい議論が湧き起こったこの作品について、深沢は「ボクは『おりん』のような老婆が好きで、ただ好きでという気持だけで書いたのだ」と述懐した。そして続ける。「いつだったか、ボクはふとんの中で、(もしや?)と思った。(ひょっとしたら、『楢山節考』には?)と思った。あの小説には、ボクが忘れてしまった人生観などという悲しい、面倒クサイものが、書こうともしなかったのに、形を変えて書いてしまったのではないかと思った」(『言わなければよかったのに日記』)と。

 
山梨県笛吹市境川町の大黒坂――。ここが『楢山節』のふるさとであり、「おりん」と辰平が辿った道を、そのときと同じ雪模様の時期にわたしも歩いてみたことがある。現在はアスファルトが敷かれて変哲もないけれど、眼下には甲府盆地が広がり、四方を囲繞する山々のかなたには南アルプスの銀嶺も一望できる。『万葉集』をこよなく愛した深沢は、ここに古代の日本に重なる風景を認めたのかもしれない。老いと死を見つめるのに本来、人生観といった面倒クサイものは不要だ。ただ、自然の懐に抱かれてあることの和やかな諦観だけがあればいいのだろう。

 
 なんぼ寒いとって綿入れさ
 山へ行くにゃ着せられぬ

 
今日、世界に冠たる長寿社会が現出して、「人生百年時代」の掛け声が響き、「後期高齢者」をめぐる諸制度の整備が図られつつある。それはそれで結構な話だが、しかし、当のお年寄りはともすると、せっかく長寿に恵まれながらなお不安と懐疑に沈んでいるかのように見受けられる。いや、それは自分自身にとっても遠くない将来の話だ。深沢のうたう『楢山節』を耳にして、ギョッとするのは、われわれがいまやすっかり見失ってしまったものに気づかされるからではないだろうか。


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