アナログ派の愉しみ/音楽◎ビル・エヴァンス演奏『ワルツ・フォー・デビイ』

不滅の名盤を生みだした
「編集」という魔法


ビル・エヴァンスの『ワルツ・フォー・デビイ』を手に取ったのは、作曲家・吉松隆の「銀の滴が降り注ぐよう」という紹介文がきっかけだったと記憶している。この手の美辞麗句に弱いわたしはあっさり釣られてしまったのだけれど、実際、きらきらと光り輝く世にも美しいピアノ・トリオの演奏には耳を奪われた。吉松はアルバム中の〈マイ・フーリッシュ・ハート〉と〈ワルツ・フォー・デビイ〉をとくに取り上げて、「この二曲を聴かずして二十世紀の音楽を語るなかれ」とまで書いているから尋常ならざる思い入れがあったのだろう。

1961年6月25日、ニューヨークのジャズ・クラブ「ヴイレッジ・ヴァンガード」でエヴァンス(ピアノ)をリーダーに、スコット・ラファロ(ベース)、ポール・モチアン(ドラムス)のトリオが出演し、このときの実況録音から各々6曲ずつをピックアップして2枚のアルバムが制作された。その一方が『ワルツ・フォー・デビイ』で、吉松が激賞するとおりジャズ史上の不滅の名盤だけに、さぞやステージと客席がひとつになった白熱のイベントが繰り広げられたはず……と思いたくなるのだが、実情はずいぶんと違うものだったらしい。

日曜だったこの日は、マチネーとしていつもより早く夕方4時半からスタートしたものの、空席が目立ったために、急遽、エヴァンスらの親戚や友人もかき集められたとのことで、お義理でやってきた連中はハナからまじめに音楽を聴くつもりなどなく、演奏中もアルコールのグラスをがちゃがちゃいわせながら大声でしゃべったり笑いあったりしている様子がレコードからも伝わってくる。ドキュメンタリー映画『ビル・エヴァンス タイム・リメンバード』(2015年)では、当夜の写真が映し出されたが、プレーヤーたちはそんな店内の雰囲気に腹を立てるふうもなく、むしろ肩身の狭そうな格好で戸惑った表情を浮かべているのが印象的だった。

現在は、この日のすべての録音を収めたCD3枚組のコンプリート盤も存在して、そこには客席の騒音も細大漏らさず入っているばかりか、突然の停電によって生じたレコーディングの事故までが再現されている。その臨場感あふれる記録はファンにとってかけがえのない宝物なのだが、他方で、ざっと2時間半にもおよぶ長丁場を聴きとおすのは少々骨が折れるのも正直なところだ。計5セットのなかで同じ曲を繰り返し演奏することもあり、どうしても緊張感が途切れてダレてくる……。

かくて、気がついたのだ。いまから63年前のニューヨークで行われたライヴと、その録音からピックアップして編まれたレコードとは、聴き手にとってまったく別の音楽体験ではないのか、と。ありのままのコンプリート盤よりもコンパクトにまとめられたアルバムのほうがずっと胸に迫り、エヴァンスが7歳の姪のために作曲した〈ワルツ・フォー・デビイ〉もさらにきらびやかな「銀の滴」と感じられるのだ。もっと言えば、このヴイレッジ・ヴァンガード出演の直後にベースのラファロが自動車事故死して、大いなる野心をもって船出したばかりのトリオはあえなく終焉を迎えてしまう。前記のドキュメンタリー映画には、「かれが死んだなんて理解できない」というエヴァンスの発言が残されており、このときの失意を終生拭い去れなかったようだ。すなわち、悲劇の陰影さえもまとうことで奇跡的なアルバムとなったのであり、これを要するに「編集」の魔法と言っていいかもしれない。

制作現場において、だれが曲目やテイクの選定・配列からパッケージのデザインまでの「編集」を行ったのかは知らない。しかし、その人物は『ワルツ・フォー・デビイ』が不滅の名盤の座を獲得するにあたり、エヴァンスらプレーヤーたちに優るとも劣らない力を発揮したと言ったら語弊があるだろうか?

あながち、そうでもあるまい。別の例を挙げるなら、クラシック音楽の分野でウィルヘルム・フルトヴェングラーが1951年にバイロイト音楽祭でベートーヴェン『第九』を指揮したライヴ録音のレコードは、世界遺産級の名盤として神格化されてきたけれど、今日では制作現場の手によって本番ではなくゲネプロをもとにした「編集」の産物であることが明らかになっている。だからと言って、価値が下がるだろうか。むろん演奏記録としての正当性には欠けるにせよ、レコードという複製芸術においては効能書きはどうあれ、そこで再生される音楽への感動がすべてと考えれば、わたしはいささかも価値を減じるとは思わない。

最後にもうひとつ、「編集」の魔法を示そう。実は、『ワルツ・フォー・デビイ』のタイトルを冠したアルバムはもう一枚存在する。1964年にスウェーデンの歌手モニカ・ゼタールンドが〈ワルツ・フォー・デビイ〉以下のジャズ・ナンバーをうたうのにエヴァンスが伴奏をつけるといった贅沢な内容なのだが、現在流通しているCDのボーナス・トラックでは、なんとエヴァンスがピアノを弾きながら自分で〈サンタが街にやってくる〉をうたっている。「銀の滴」の情緒など吹き飛ばしてしまう、陽気なだみ声の歌唱に唖然としつつ、そこにもしたたかな「編集」の力を見ないではいられないのだ。

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