アナログ派の愉しみ/音楽◎武満 徹 作曲『波の盆』

それは孤独な宇宙人が
聞き取った天上の調べかもしれない


20世紀後半の日本を代表する作曲家・武満徹とは相性が悪いのかもしれない、とずっと思ってきた。現代音楽の最前線でかれがつくった多彩な作品たちに重々敬服しながらも、そこにはつねに頭のなかで考えに考え抜かれた印象がつきまとい、こちらも脳ミソは刺激されるものの、首から下が自然と反応して動悸を急かすような昂揚までには至らないのだ。

 
あまりにも有名な『ノヴェンバー・ステップス』(1967年)にしても、わたしに言わせれば、ガラス細工のように精密に構成されたオーケストラの枠組みに、琵琶と尺八が自由に振る舞う長大なカデンツァが対置されて、小澤征爾指揮による初演以来、鶴田錦史と横山勝也がそこで気迫のこもった情念を迸らせたことによって聴衆を圧倒したのではなかったか。であればこそ、ふたりの名手が世を去ってからはとんと耳にする機会がなくなってしまったのだろう。いつの日か、琵琶の尺八の若い野心的な奏者が現れて、この曲の面貌を一新するような演奏を繰り広げることが待ち遠しい。

 
そんなへそ曲がりのわたしにも、ただひとつ偏愛してやまない作品がある。1983年に日本テレビが放映したドラマ『波の盆』(実相寺昭雄監督)のためにつくられた音楽だ。ハワイ・マウイ島に暮らす日系一世の老人が妻を見送ったのち、ひとり追憶に耽る日々を送っているところへ、思いがけず日本から孫娘が訪ねてきたのを喜びつつも、戦時中、祖国を裏切ってアメリカ軍に協力したことの葛藤に苛まれるなか、亡き妻が優しく語りかけてくるというストーリーだったらしい。手元にあるCDは尾高忠明の指揮で札幌交響楽団が6つのパートを演奏した18分半の組曲版だが、ドラマを見ていないわたしにもしみじみと老いの心境が伝わってくる。

 
音楽全体を満たすのは、ハワイの海のイメージだろう、弦楽器がえんえんと奏でる群青の波の気配なのだが、ふいに挟まれるチェレスタやハープのエピソードが胸に染みわたるにつれ、それはかつて母の胎内にいたときの羊水のたゆたいとも、やがてこの世を去ったあとに身を委ねる楽園の温もりとも感じられていく。そうした感傷は決してひとりよがりのものではないはずだ。タクトを取った尾高もライナーノーツで「私は指揮をしながら涙を隠すことができず、ヴァイオリン奏者たちも涙を流しながらレコーディングした」と告白しているのだから。一体、この人懐こい音楽と、クラシックのコンサート向けの厳しく研磨された音楽との落差はどうしたことだろう? 52歳となった作曲家が老いのテーマに出くわして突然変異をきたしたのか。

 
武満はゲスト出演したテレビ朝日の「徹子の部屋」(1977年)で、黒柳徹子にドラマや映画の音楽をつくる面白さを問われて、日常の仕事は自分ひとりが部屋に閉じこもって行うのに対し、ドラマなどではいろいろな人と打ち合わせをしながら進めていき、ふだんやらない試みを要求されることもあると説明したうえで、こう続けている。

 
「ちょうど、俳優と同じだと思うな。演出家や台本によって、自分の知らない面を引き出されるってことが、とってもあるんですね。だからそれはとってもおもしろいし……。なにしろ音楽は、独りでやっててもしょうがない仕事でね。それは、独りで、お風呂のなかで鼻歌うたうのも、すごく楽しいことではあるけれど、でも最低一人とか、二人、三人とか四人とかって、いっしょに音楽やれば、もっとおもしろいわけでしょ」

 
実は、わたしも武満と会ったことがある。いや、会った、と言ったら語弊があるか。正しくは30年ほど前の平日の午後、仕事で移動中の営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線の車内でたまたま見かけたというわけ。神楽坂駅の近くだったから音楽之友社へでも向かうところだったのだろう、他の乗客と並んで座席にちょこんと腰かけているその姿がいかにも異彩を放っていた。まんまるに秀でた額と小づくりの体躯とのアンバランスは、まるで地球に迷い込んだ孤独な宇宙人のようで、それから間もなく亡くなったかれは、あの頭脳で天上が奏でる『波の盆』の調べを聞いていたのかもしれない、とわたしはいまも想像している。

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