アナログ派の愉しみ/映画◎家城巳代治 監督『雲ながるる果てに』

待つ、待つ、待つ……
そこに生きてある輝きが


「雨ふつて またまた 神様生きのびる」

 
家城巳代治監督の『雲ながるる果てに』(1953年)は、以後おびただしく出現した特攻隊映画の原点とされている。終戦後まだ8年しか経過していない時期に、戦没飛行予備学生たちが書き残した遺稿集にもとづき、また、主演の鶴田浩二や木村功らは実際に海軍航空隊の軍務に就いていたという事情が、ここに描かれたドラマをかぎりなく現実の歴史に近接させたろう。声高に批判することも賛美することもない。そんな原点の映画の、さらに原点をなしているのが、この言葉のようにわたしは感じた。

 
昭和20年(1945年)4月の、ざっと2週間の出来事。九州南端の前線基地では、神風特攻隊に配属された学徒出身の若者たちが小学校を宿舎として過ごしていた。上官の飛行長の名指しを受けた隊員たちから、重い爆弾を抱えたゼロ戦に乗って生還することのない攻撃へと飛び立っていく日々。沖縄戦がいよいよ深刻な状況を迎えて、明日には全隊員へ出撃命令の下ることが伝えられ、かれらは最後の夜に精一杯気勢を挙げようとするが、茶碗酒を酌み交わして『同期の桜』をがなりたてることしかできない。せいぜい世慣れた輩が、色街の馴染みの女のもとへ別れを告げに出かけたりするぐらいだった。

 
そうやって、それぞれに現世と訣別する覚悟を固めたところで、夜が明けてみれば激しい風雨に見舞われて出撃は見合わせとなる。拍子抜けしたかれらは手持ち無沙汰の時間を持て余し、教室の黒板にこんな言葉を書きつける。「雨ふつて 今日一日を 生きのびる」。翌日も雨。黒板には「雨ふつて またも一日 生きのびる」。その翌日もまた雨で、黒板に書き加えられたのが冒頭に引用した言葉だ。当時、国のために自爆する特攻隊員を世間が「神様」と持ち上げていたことを受け、それが雨のおかげで長らえるのを皮肉っている。かくして、翌日、ついに大空が晴れわたり、かれらが制服に身を固めて校庭に集合すると、計画変更によって半数だけが出撃し、その翌日には、残りの半数もやっと順番が巡ってきたと整列したところ、飛行長より燃料不足のため出撃の延期が通達される……。

 
こんなふうにおのれの運命が弄ばれる日々を送りながら、かれらは否応もなく、いまここに生きてあることのぎりぎりの境地へと至る。かつて空襲で腕に被弾して療養中の深見中尉(木村)は、こらえ切れず煩悶を吐露した。「目に見えない大きな力が僕らを墓場のなかへ引きずり込んでいく。敵のフネに突っ込めば肉も骨もひと筋の髪の毛さえも消えてしまう。僕らには人間的なものは何ひとつ残されちゃいない、戦争のための消耗品に過ぎないんだ」と――。学生時代から仲の良い大瀧中尉(鶴田)は、そんな親友の態度に憤慨して「悠久の大義」を唱えるのだが、いよいよ明朝こそ出撃という日、突然届けられた電報で父母と妹が面会のため遠路はるばる向かいつつあると知るなり、半狂乱になる……。

 
そう、この映画が主題とするのは待つことの意味だ。定められた運命が訪れるまで、ひたすら待つ、待つ、待つ……という日常のなかで、自己の死を直視して悶え苦しみながらも、郷里の家族を思い、はかない縁の女を思い、日本国家と世界人類の未来に思いを馳せる。そんなかれらがいつしかまとう、まばゆいばかりの生きてある輝きを、モノクロームの映像は如実に描きだすのだ。

 
かくして、その日がやってきた。早朝「総員起こし」の号令とともに、沖縄方面の敵機動部隊に対し可動機全機をもっての特攻出撃が命じられ、いまだ腕の負傷が癒えない深見も、家族の到着が間に合わなかった大瀧も、すべての隊員が勇んで死出の旅に発っていく。そして映画は、大空を舞うゼロ戦が一機また一機と敵の艦砲射撃によって撃ち落とされ、なんら戦果を挙げないまま散華するかれらの最期を映しだす。基地では途絶えた無線連絡に飛行長が毒づき、航空隊参謀が平然とうそぶく。

 
「ナニ、特攻隊はいくらでもある」

 
犬死に。そうだったかもしれない。だが、かれらがこの運命の瞬間を迎えるまで、ひたすら待ちながらまとった輝きは、たとえ無為の結末に終わったとしても色褪せはしない。そしてまた、安穏とふんぞり返ってかれらを死地に追いやった飛行長らは生き延びたところで、こうした輝きとは無縁のままだろう。いや、高級将校連中にかぎった話ではない。21世紀の日本人だって世界に冠たる長寿社会を生きながら、もしみずからの運命に対して、待つ、待つ、待つ……の意味を知らず、死から目をそらし、たんに要領よく立ちまわっているだけなら、果たして本当の生きてある輝きをまとうことができるのか。そんな痛烈な問いかけを、この特攻隊映画の原点は後世のわれわれに突きつけていると思う。


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