アナログ派の愉しみ/音楽◎フランチェスカッティ演奏『魔弓の至芸』

ヴァイオリンとは
恐ろしい楽器である


フランチェスカッティが演奏する『魔弓の至芸』と題したCDを聴きながら、つくづくヴァイオリンとは恐ろしい楽器だと思い知らされた。

 
だって、そうだろう。全長約60センチ、重量500グラム前後という、ささやかな木製の本体に4本の弦を張っただけなのに、指先と弓を使って千変万化の多彩な音を出すことができる。ピアノが鍵盤ごとに音を割り振られ、それを叩くと素人でも簡単に目当ての音を出せるのとは大違いだ。しかも、ピアノは構造上、あらゆる調性に対応すべく妥協の産物の平均律に固定されているのに対して、ヴァイオリンのほうは演奏者の微妙な操作により、いまこのときの調性に合わせていっそう調和の取れた純正律も可能となる。

 
したがって、オーケストラの一員としてならともかく、すべてを自分の裁量で行わなければならないソリストはきわめてデリケートで膨大な作業が必要なはずだ。こうした事情から、ヴァイオリンの天才少年・少女は続々と登場しても、長い年月にわたって活動を維持するのは困難で、おしなべて現役の期間はピアノの場合よりもかなり短いように見受けられる。加齢にともなう心身の衰えのもとで、ピアニストはそれなりの対処の仕方があっても、ヴァイオリニストはたちまち表現を瓦解させてしまうのではないだろうか。

 
さらにつけ加えるなら、いまから数百年も前につくられた楽器が現代でも君臨して、なかには数十億円の価値を有するものまであるというのも、世間一般にはずいぶんと奇異な現象だ。ありていに言って、その価値を保険料に換算するなら楽器のほうがたいていの演奏家を上回るだろう。したがって、ヴァイオリンの演奏史を長い目で眺めたときには、こうした名器が時代を超えた主役であり、幾多の人間が入れ代わり立ち代わり脇役で支えてきたという構図になりかねず、それこそがいちばんの恐ろしさかもしれない。

 
そこで、このCDだ。

 
ジノ・フランチェスカッティは1902年フランス生まれ。史上最も有名なヴァイオリニストで「悪魔に魂を売った」と噂されたパガニーニの孫弟子にあたるイタリア人の父と、その弟子だったフランス人の母が両親という、まるでヴァイオリンの申し子のような出生であり、実際、幼くして天才少年の名をほしいままにしてヨーロッパやアメリカの各地で演奏活動を繰り広げ、第二次世界大戦以降はニューヨークを拠点とするようになった。同世代に、ヤッシャ・ハイフェッツ、ナタン・ミルシテイン、ダヴィッド・オイストラフといった錚々たるライヴァルが出現したが、弦の奏でる奔放で官能的な華やかさではかれが筆頭と言える。LPで初のメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を組み合わせたアルバムをつくってベストセラーとなり、多くの同業者たちがあとに続いたことからもそれを窺えるだろう。

 
そんなフランチェスカッティが1966年、63歳のときに録音したのが『魔弓の至芸』だ。ヴァイオリニストとしては相当高齢での記録と言えるだろうが、そうしたハンデを毛筋ほども感じさせるものはない。ヴィターリの『シャコンヌ』、パガニーニの『「こんなに胸さわぎが」による変奏曲』、タルティーニの『ヴァイオリン協奏曲ニ短調』と『コレルリの主題による変奏曲』という、他では滅多に耳にできないイタリアのヴァイオリンと管弦楽のための音楽が集められ、しかもすべてのオーケストレーションをかれ自身が行っているから、よほどの思い入れがあったのだろう。

 
ひとつひとつの楽曲について解説してもはじまらない。もう、のっけからエンジン全開でめくるめく美音を撒き散らしながら自在に弾き進めていくありさまには、唖然とするばかり。われわれは酔い痴れることしかできないのだ。もとより、ただの天才少年・少女には『魔弓の至芸』と題したアルバムなどつくれるわけもなく、これは天与の運命と才能に恵まれながら倦まずたゆまずこうした年齢まで精進を重ねて、初めて実現できるたぐいの演奏だろう。フランチェスカッティはかくして、ヴァイオリンの演奏史における王座を占めたのだ。

 
それとも、この妖しいエロティシズムの世界もまた、かれの愛用していた1727年製の「ストラディヴァリウス」がヴァイオリンの申し子を突き動かし、その奥底から引きずりだしたものだったのか? まったくもって、恐ろしい楽器である。
 

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