アナログ派の愉しみ/音楽◎モーツァルト作曲『恋とはどんなものかしら』

ロココ趣味の
軽やかに性差と戯れる歌をいま


モーツァルトのオペラのなかで、と言うより、ルネサンス以降のヨーロッパ音楽において王座の地位にあったオペラというジャンルのなかで、『フィガロの結婚』(1786年)はひときわ高く聳え立つモニュメントだろう。全4幕に正味約3時間を要し、主要な登場人物は11人におよぶというスケールの作品にあって、実際の上演でいちばん拍手喝采を浴びるのは、2曲のアリアを歌うだけのケルビーノだ。

いわゆるズボン役で、女性歌手が男を演じるのだが、この少年はその手のホルモンの分泌がよほど活発らしく、舞台となる伯爵邸にあってひたすら女性たちを追い回して恋心を燃やしている。そんなわが身を、第1幕では『自分で自分がわからない』と歌い、ついで第2幕では、伯爵の浮気を懲らしめるワナとして夫人とスザンナにより女に仕立てられ、その肌の白さを羨ましがられたりしながら、『恋とはどんなものかしら』と歌う。

つまり、早熟な少年の役を女性が演じ、その女性が演じる少年を今度は女装させて女たちが賞玩するという、二重の性の反転が施されているのだ。昨今、日本でもLGBTQをめぐって声高な論議がなされ、それはもちろん深刻な現実を反映しているわけだけれど、ただまなじりを決するばかりでなく、一方で、こうしたロココ趣味のように軽やかに性差と戯れて楽しむ感性があってもいいのではないかと思うのだが、どうだろう?

それはともかく、このケルビーノはズボン役だけにやや低めの声域が当てられているため、カルメンなどをレパートリーにするメゾ・ソプラノが扮することが多い。しかし、わたしの好みでは、まさに女の情念を滾らせたカルメンの声で、この少年の心情が歌われるのは、たとえ安定した立派な歌唱になったとしても興醒めする。

そこで、わたしがこよなく愛するのは、ソプラノのエディット・マティスによるものだ。幸いにも1966年のザルツブルク音楽祭で、ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏、ワルター・ベリー(フィガロ)やレリ・グリスト(スザンナ)らの名歌手と共演して、28歳のマティスがケルビーノを演じたライヴ映像が残っている。モノクロとはいえ美貌がまぶしく、その無垢な歌声は思春期の少年のやみくもでありながら、悲しいくらい澄みきった心情を伝えて、いまでも聴く者をロココの時代にいざなうだろう。マティスは今年(2023年)85歳を迎え、歌手はとうに引退したものの、いまだに世界じゅうのファンに慕われているのは慶賀の至りだ。

ところで、わたしがこれまで体験したなかで最も心揺さぶられた『恋とはどんなものかしら』は、数年前のこと、国立音楽大学(東京都立川市)の市民向け公開講座において、現役の女子学生がステージに上がって歌ってくれたものだ。そのぴんと張りつめた声が耳に届いたとたん、涙がどっとあふれ出て……。


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