アナログ派の愉しみ/音楽◎ヨハン・シュトラウスⅡ世 作曲『こうもり』
「退屈」が
主題のオペレッタ
これはまたなんとしたことだろう? ヨハン・シュトラウスⅡ世の『こうもり』(1874年初演)を見聞きするたびに戸惑ってしまう。なぜなら、このオペレッタ(喜歌劇)の主題は「退屈」だからだ。時間芸術である音楽にとっては退屈こそ大敵で、客席のあくびや居眠りほど恐ろしいものがないはずのところ、ここまで退屈という魔物を前面に担ぎだしてみせた作品をわたしは他に知らない。
オーストリアの温泉保養地が舞台。あたりには貴族やブルジョアら上流階級の別荘がひしめいているらしい。なかでもひときわ豪奢な屋敷をかまえているのが、ロシア出身のオルロフスキー公爵。当節話題の「オリガルヒ(新興財閥)」よろしく、石油王として莫大な財を築いたかれは、もはやカネへの関心を失ったあげくとめどない退屈に苛まれて、せめても気を紛らわそうと夜な夜な盛大なパーティを催している。
ある日、ひとりの遊び人の紳士がこのパーティを利用して、かつて自分にこうもりの扮装をさせて笑いものにした親友への意趣返しをもくろむ。ついては、負けず劣らず遊び人の相手とその奥方、また小間使いの娘や刑務所の所長までが、それぞれ別の人間になりすまして宴席に訪れて……。とまあ、このへんはおよそ現実味のない設定で、わざわざストーリーを追うのもばからしいのだけれど、いちばんのポイントは、この茶番劇がオルロフスキー公爵の退屈を解消できるかどうかに尽きるだろう。
「わしはお客さんを招くのが大好きで、みんなに夜が明けるまで思う存分楽しんでもらいたい。だが、このわしはひどく退屈している。主人のわしはそれでかまわないが、お客さんのほうが退屈の素振りをするのは我慢ならん。そんなやつはすぐさま胸倉をつかんで放りだしてやる」
舞台上に登場したオルロフスキー公爵は、パーティの面々に対してすかさずこんなクープレをうたってのける。いかにも大富豪の甘ったれたひとりよがりの言いぐさに聞こえるけれど、同時にどこか投げやりで、いざとなったら暴力沙汰におよんだうえ、さっさとみずから破滅しかねない物騒な息遣いも感じられないだろうか。実は、ワルツ王として有名なヨハン・シュトラウスⅡ世がこのオペレッタをつくったころ、ハプスブルク家が支配するオーストリア=ハンガリー二重帝国は過去の栄光がすっかり色褪せて、ウィーンの万国博覧会が閉幕したのをきっかけにバブル景気が弾けて「暗い金曜日」の恐慌に襲われていた。シュトラウス自身も経済的な痛手を蒙ったクチで、すなわち、いまや上流社会は阿鼻叫喚の渦中にあって、たんに退屈を嘆いていられる場合ではなく、オルロフスキー公爵の歌は刻一刻と破滅が迫ってくる現実へのやり場のない鬱屈も含んでいたろう。
実際の舞台では、このオルロフスキー公爵にはしばしばメゾ・ソプラノの女性歌手が扮して、タカラヅカのような華やかな雰囲気を醸しだすのだが、わたしはやはり堂々と男性歌手によって演じられるほうが好ましい。そして、これまでに最も強烈なインパクトを受けたのがヴィントガッセンだ。
ヴォルフガング・ヴィントガッセン。ワーグナーのオペラのレコードに親しんできた者なら、その名前を必ず目にしたはずだ。1914年生まれのかれは、著名なオペラ歌手だった父親を継いで若くしてデビューし、第二次世界大戦中は軍務に服したものの、戦後に活動を再開すると、とくにワーグナー作品のヘルデンテノール歌手としてめざましい存在感を発揮する。1950~60年代のバイロイト音楽祭では、タンホイザー、ローエングリン、ジークフリート、トリスタン、パルジファル……といった役をことごとく担い、ワーグナーが描いた英雄たちをひとりで支えているかのような観があった。
そんなヴィントガッセンがキャリアの終盤で、オペラ映画『こうもり』(1972年)にオルロフスキー公爵として出演したのは、はなはだ意外な成り行きと言っていいだろう。しかも、かつてかれと組んでワーグナー作品の数々の名演を残したベームが指揮をとり、映画の冒頭には相変わらず謹厳実直なタクトを振るようすが収録されている。こうして誕生したオルロフスキー公爵は、茶番劇にあってもまなじりを決して、厳粛に退屈し、厳粛に鬱屈し、厳粛に苦悩するあまり、その顔つきには厳粛な狂気さえ漂わせている。ヨーロッパの上流社会ばかりでなく、広い人間世界のどこにおいても、高貴と退屈は同じコインの表裏であると主張してやまない人物造型は、さんざん英雄を演じてきたかれだからこそ表現できたものだったろう。
このオペラ映画が制作された2年後、ヴィントガッセンは心臓発作のため60歳で急逝した。