アナログ派の愉しみ/音楽◎「曽侯乙編鐘」

世界八大奇跡といわれる
古楽器の響きを聴く


『論語』泰伯篇には、孔子のこんな言葉が残されている。

 
子曰、興於詩、立於礼、成於楽(子曰く、詩に興り、礼に立ち、楽に成る)

 
先生がおっしゃるには、ひとは詩経を読むことで心を奮い立たせ、礼式を学ぶことで立場をわきまえ、音楽を聴くことで人格を完成させる、といった文意だ。さらに深読みするなら、若年のときには詩経、壮年になっては礼式、老年に至っては音楽による涵養が大切とのニュアンスも含まれているか。いずれにせよ、孔子が音楽と向きあう態度は、今日のわれわれがエンターテインメントとして楽しむのとはずいぶん趣を異にしていたらしい。そもそも、かれのいう音楽とはどのようなものだったのだろう?

 
そのヒントを与えてくれるのは1978年に中国湖北省随州で見つかった戦国時代初期の古楽器で、琴、瑟、笙、箎、鼓……といったものとともに、とりわけ注目されたのが「曽侯乙(曽国の支配者の乙の墓から出土した)編鐘」だ。いまから約2400年前につくられた巨大な打楽器で、64個の青銅製の鐘が上・中・下三段に配列され、全体で8音階、5オクターブにわたって完全な5度音程、7度音程の音階と12の半音が出せるというもの。さらには主音を変化させる「旋宮転調」によって、現代音楽にも対応できるほどの和音、和声、転調を表現できるとか。5人の奏者が木槌を手にして演奏するというそれは、もはやひとつの楽器というより、これ自体が小型のオーケストラと見なしたほうがいいのかもしれない。人類史における音響学の最高峰を示す発見に、当時、内外の専門家たちは「世界八大奇跡」の賛辞を捧げた。

 
中国唱片総公司が編纂した『中国古典音楽鑑賞』(1998年)という6枚組のCDセットでは、巻頭に「曽侯乙編鐘」の演奏が収められ、丁寧な日本語解説もあって重宝する。上の説明もそれによるものだ。もちろん、孔子が知っていた音楽について楽譜などの記録はなく、ここでは孔子より200年ほどあとの『楚辞』の詩人・屈原にちなむふたつの曲が演奏されている。これをプレーヤーにかけると、光彩陸離と形容したらいいのだろうか、スピーカーから七色の輝きをまとった響きがあふれ、いまここで音楽が生まれていくのに立ち会っている感がする。人間が楽器を使って音を出すのではなく、楽器が人間を使って音を出す。人間が音楽を所有するのではなく、音楽のほうが人間を所有する。人間は音楽の一部でしかない。孔子にとってはそういうものだったのだろう。おそらくは、孔子が生きていた時代に、ギリシャではピタゴラスが「天球の音楽」に耳を傾けながら、その数学的な秩序に思索をめぐらせていたのと同じように。

 
人類はいつの間にか、音楽というものに対して傲慢になっていたのではないか……。そんなことを考えさせる「曽侯乙編鐘」体験だった。


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