アナログ派の愉しみ/音声劇◎谷崎潤一郎 原作・主演『瘋癲老人日記』

老年の性の極北に迫った
空前絶後のドラマ


大胆不敵な小説である。すでに文化勲章を受けて文壇の大御所にあった谷崎潤一郎が、初老の夫婦の歪んだ性生活をテーマに『鍵』を執筆して、おりしも売春防止法案を審議中だった国会で批判され、そのスキャンダルも肥やしにして5年後に発表したのが、この『瘋癲老人日記』(1961年)だ。

77歳の卯木督助(うつぎとくすけ)は、金に不自由のない生活を過ごしているが、もはや性欲にしか関心がない。病身のせいもあって完全に性的能力を欠いた現在、その欲望は長男の嫁、颯子(さつこ)へのとめどない妄想とせめてもの接触の願いとなって現出する。まさに煩悩の化身ながら、みずからの老醜を受け入れ、一途に邁進する姿はいっそ潔いと言えるかもしれない。

この危険な作品を、かつて朝日放送/TBSラジオが「音声劇」にしたことは知っていたものの、月刊誌『新潮』(2011年5月号)が録音CDを付録にしてくれたおかげで、わたしも耳にすることができた。1962年に3回に分けて放送されたそれは、計80分足らずの抜粋版だけれど、主人公の督助には谷崎潤一郎本人、このとき数え年の77歳で役と同年齢であり、嫁の颯子には谷崎お気に入りの女優、淡路恵子が扮し、音楽を新進作曲家だった武満徹が担当するという豪華さで、かつ、その陣容にふさわしい完成度になっている。

地の文を朗読する谷崎はまるで棒読みだが、かえってジワジワといやらしさがにじみ出てくる。それが淡路と絡む会話部分になると、とたんにテンションが上がる。やがて、口実をつけて自分の看護役として寝室に呼び入れた颯子を見やり、

「彼女ガ横ニナッタノデ、予モ横ニナッタ。予ハ寝タフリヲシナガラ、颯子ノガウンノ端カラ覗イテイル支那履(ぐつ)ノ小サク尖ッタ尖端ヲ見テイタ。コンナニ繊細ニ尖ッタ足ハ日本人ニハ珍シイ」

と読み上げる個所では、舌なめずりする音がはっきり聞こえて、こちらが赤面してしまった。もはやどこから督助で、どこまで谷崎かも定かならぬ、臆面のない口ぶりで颯子に迫って、シャワーを浴びているその肩に唇を寄せて平手打ちにされたり、やっと許しを得て膝から下ならという条件で接吻させてもらったり……。かくて、このドラマは、督助がおのれの最期の様子を想像して、「颯子ハキット平気ダロウナ。ソレトモ案外泣クカシラ。セメテ真似グライハシテミセルカシラ」と、あたかも死さえ快楽の調味料であるかのような述懐をもって結ばれる。

ところが実は、原作からするとまだ序の口にすぎない。督助の痴態はますます過激になるのだ。ついには颯子を京都旅行に連れ出し、旅先で彼女の足裏の拓本を取ることに成功すると、仏足石に彫らせるという計画を実行に移す。それを墓石とし、死後のおのれの骨が颯子の足に踏みつけられて、「泣キナガラ予ハ『痛イ、痛イ』ト叫ビ、『痛イケレド楽シイ、コノ上ナク楽シイ、生キテイタ時ヨリ遙カニ楽シイ』ト叫ビ、『モット踏ンデクレ、モット踏ンデクレ』ト叫ブ」と、野放図に妄想を膨らませるところまでを、この音声劇でも演じてほしかった気がする。しかし、ラジオ放送ではとうてい不可能か。

いや、そうではなかろう。谷崎の筆が突きつめた老年の性の極北は、もはや作者本人の肉声をもってしても表現しきれない、かぎりなく抽象に近い世界に達していたのだ。


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