アナログ派の愉しみ/音楽◎フランク作曲『ピアノ五重奏曲』

老いらくの恋を
妻から叱責されて生まれた傑作


古今東西、妻の存在が芸術家に傑作をつくらせた例はいくらでもあるが、さしずめフランクの『ピアノ五重奏曲』はその最たるものだろう。

 
セザール・フランクは1822年に現在はベルギー領内のリエージュに生まれた。わが子の才能に期待した銀行家の父親の肝煎りで、地元の音楽院を卒業したあと、弟とともにフランス国籍を取得してパリ音楽院で学ぶ。そして、野心を燃え立たせてオラトリオやオペラの作曲に取り組んだものの成功を見ないでいるうち、ピアノの教え子のフェリシテと恋仲になり、両親の猛反対を押し切って25歳のときに結婚する。以後は、日々の生活の糧を得るため、もっぱら教会オルガニストや音楽教師として地道な人生を歩んでいった。

 
そんなかれに転機が訪れたのは、すでに50代に入ってからのこと。中世の伝説を題材にしたワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』に接して強い衝撃を受けたのだ。不倫で結ばれた男女の生々しいエロスを描写していつ果てるとも知れない「無限旋律」の魔性は、ヨーロッパ全土の楽壇を呑み込み、敬虔なローマ・カトリックの信者だったフランクもたちまち呪縛されたらしい。それだけではない。ひそかに伝えられるところでは、そのころ奉職していたパリ音楽院において、25歳年下の教え子で、やはり熱心なワグネリアンだったオーギュスタ・オルメスと出会い、みずからもトリスタンよろしく禁断の道に踏み入ったというのだ。

 
いや、むしろ若き英雄トリスタンよりも、それまで堅物のマジメ人間だったのが五十路で取り憑かれた老いらくの恋のほうがずっとタチが悪かったろう。そして、ごく当然の成り行きとして、この事態はたちまち妻フェリシテの知ることとなり、かつて自分も教え子の立場で夫から愛を囁かれた覚えがあるだけに、その叱責はいっそう激烈をきわめたに違いない。両者のあいだにどんな一幕が演じられたか、わたしは想像しただけで身震いに襲われるのである。

 
もとより、こうした事情はことがことだけに明らかな証拠が残っているわけではない。だが、もし証拠をあげるなら、ちょうどそのタイミングでいきなり作曲された『ピアノ五重奏曲』(1879年)が最有力のそれだ。全3楽章、演奏時間約40分におよぶ大作で、わたしが好んでいるのは、フランスのデカダンなピアニスト、サンソン・フランソワが1970年にベルネード弦楽四重奏団と組んで録音したもの。これを耳にすると、四つの弦楽器によって奏でられる「循環形式」の旋律は、あたかもふつふつと滾りながら捌け口を見出せない妄執のように思えるし、また、そこに凄まじい気迫でぎらぎらと斬り込んでくるピアノが、激高した妻の舌鋒のように聞こえるのをどうしようもない……。

 
フランクはこのあと堰を切ったように旺盛な作曲活動を展開して、67歳で世を去るまでに多くの作品を残し、そこには『ヴァイオリン・ソナタ』(1886年)や唯一の『交響曲』(1888年)といった珠玉の名作も含まれている。後世のわれわれからすれば、夫に強烈なカツを入れてくれた妻に深甚なる感謝を捧げる必要があるだろう。

 
さて、どこまでの仲かはともかく、不倫相手とされるオーギュスタ・オルメスのほうはと言えば、当時、珍しい女流の新進作曲家だったうえ、世にも妖しい美貌でオーラを撒き散らしていたようだ。作曲家サン=サーンスからもプロポーズされたり、妻子ある詩人マンデスと同棲して5人の子どもを産んだり、その子どもたちが画家ルノアールによって描かれたりしている。そうした女性が、もし既婚男性とのあいだに多少とも感情のやりとりがあった場合に、妻から横槍が入ったとしても、そうあっさりと引き下がるものだろうか? のちにフランクの没後、オーギュスタはただちに彫刻家ロダンに依頼してフランクの胸像をつくり、その墓に供えたことからもふたりの内実が窺えると言ったら、穿ちすぎだろうか。


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