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商品の価値における一尺度の貨幣と貴金属などについて考える①〜経済学原理第二章第五節〜

 マルサスは本書の経済学原理のなかで、「作るのにかかる労働量が同等の品を見出すとすれば、それは正しく価値を測る物差しになるが、貴金属にはそんな性質はない」という見解を示した。普通に考えたら、鉱山から鉱物を採掘して貴金属を得るための労働量と同じ匹敵する労働量の物品も当然存在する。それなのに貴金属が、労働量を基準とした上で、価値を正確に測る物差しにならない理由はなにか?

 貴金属の特徴としては、①需要が高い、②極めて希少な財貨である、③錆つかない、④加工しやすいの4つが挙げられる。また、19世紀における貴金属といえばほとんど金と銀のことを指すだろう。プラチナやロジウム、パラジウム、イリジウム、ルテニウム、オスミウムも貴金属に該当する。プラチナは古代エジプトから使われていたという記述があるが、銀に比べて融点が高く扱いづらく、あまり一般的ではなかった。他の貴金属は19世紀の初期に発見されたものなので、今でも知名度が低く、マルサスのいた時代は尚更だったといえる。現在の地球上における発掘された金の総量が23万トンぐらいで、銀の場合は140万トンぐらいだ。しかも、いずれは枯渇すると考えられている。ようするに金銀は、供給源(鉱山)が見つかったとしても、作り出せる量は極めて限られた財貨だったのだ。これを「作り出せる労働量」を物差しにして、物質自体の再生産が可能な他の財貨との価値を正しく測るというは無理筋だろう。というのも、鉱山資源が枯渇するにつれて、どんなに労働量を増やしても供給は先細るからだ。もちろん貴金属以外の財貨でも最終的には限界がくる。しかし、資源量が豊富な卑金属や、土地から取り出すのではなく人工的に再生産できる物品と、希少で鉱山から取り出すしかない貴金属とでは決定的な差がある。だから卑金属を貴金属に変えようする錬金術が研究されたわけだ。また、金属なのだから溶かすことができる。その点は宝石とは異なり加工するにしても便利である。
 こうした財貨は、もっとも貨幣(一般的等価物)の役割に向いていた。それ以外の商品同士を交換するために、必要な物差しが貴金属だったのだ。前述したように貴金属は、労働量を基準とした上での価値を正確に測る物差しにならない。しかし当たり前だが、別の様々な種類の商品は存在している。それらの交換価値を、正確に測る物差しは必要だ。そこで貴金属が選ばれて、金本位制や銀本位制が生まれた。現代ではそれらの本位制は廃止されている。
 しかし身も蓋もない話になるが、けっきょくのところ存在する多くの商品の交換価値は、投じられた労働量に正確に比例しているのは稀であろう。

 マルサスは、「貴金属は耐久性が強いので、他の商品の質が変化することや、生産に帯同する消費者の便宜の変化に順応するのが緩慢であり、なおかつ困難であると言える」と主張した。これはおそらく、耐久性の低い商品が数多く存在するからだと思われる。しかし具体的にどういった状況になるのかよく分からない。マルサスはリカードの意見も例に挙げて、すべての商品の自然価格と市場価格が一致することは、供給の増減を決められる便宜(都合の良い機会、それに適したやり方)を拠り所にしているという。だから上記の文章は、貴金属はその便宜を得づらいという意味かもしれない。例えば農産物などは技術の向上で、それまでより少ない労働量で多くの製品を作れる。つまり以前より安値で売れることになるから、交換される貴金属は相対的に高値になる。マルサスはそれについては、「短い期間では生産量を都合良く減らせないので、諸貨物の値段はそれに投げられた労働量を反映しない」と考えた。これは生産性が向上した商品には、その分だけ少なくなった労働量はある意味反映されているが、生産量はすぐに減らせないので、交換される貴金属を生み出すための労働量には、近づけ難いと考えてよいのかもしれない。
 しかも、また同じことを述べるが、鉱山資源が枯渇するにつれて、どんなに労働量を増やしても供給は先細る。だから、「作るのにかかる労働量が同等の品を見出すとすれば、それは正しく価値を測る物差しになるが、貴金属にはそんな性質はない」と考えられている。この性質を省いたとしても、労働量の不一致という不都合は存在するわけだ。