にじの空通信~心の医者からのおたより

#創作大賞2023
#エッセイ部門
#メンタルヘルス
#精神科医のエッセイ

2019年2月~受験の季節


 冬らしくなってきましたね。受験の季節でもあります。私は第一志望に入れなかった人なので、もう遠い昔ですが、受験は苦い思い出です。医者になれたのだからいいじゃないか!と怒られそうですが、当時は「もう人生終わったな」と思っていました…。医学部なのに女子大だし、憧れの広いキャンパスのある総合大学とは真逆の、都会だけどグランドもない、ただのビルの校舎…。やさぐれた気持ちでしばらくは通っていました。中高と違い、打ち解けた友達もあまりできなかったし、合コンにいっても全くモテないし、時はバブルで、アッシーだのメッシーだのと、もう全く別次元の世界。「孤独」という感覚を初めて知りました。自分になぞ何の価値もなく、自分が死んでも、親は悲しむだろうけど、誰も何も感じないのではと思っていました。今思えば、「うつ」だったのかも。でもずっとうじうじとしているのも嫌になり、「えい!孤独を極めてやれ!」と、5年生の春に、アルバイトで貯めたお金を全部遣って、一人シベリア鉄道に乗りこみ、当時ベルリンの壁が崩れたばかりの東ヨーロッパに旅にでました。1週間かけてモスクワに着き、さらに夜行列車でポーランド、ハンガリー、チェコ、ユーゴスラビアそしてギリシャまで。途中風邪をひき、安宿で寝ていた時(今ここで死んだら、この国の人はだれも自分のことを知らないのだな)と不思議な気持ちになりました。でも、次第に学校をさぼっているのが不安になり、当初のユーラシア大陸横断計画は中断し帰国。1か月と少しの旅は終わりました。これといって何か見つけたわけではありません。ちょっと気が済んだというか、ここまでやっても、自分は自分でしかないのだなと、あきらめがついたのでしょう。そのあとは背伸びしたり卑屈になることをやめて、楽になった気がします。伊集院静先生も「悩むなら、旅に出よ」とおっしゃっています。受験生の皆さん、精一杯頑張ってください。結果が思うようにいかなかったとして、実はそれこそが人生の財産になります。そして、終わったら旅にでましょう。


2020年7月~「人を診る」ということ

梅雨のどんよりした空を電車の中からみていると、昔のことを思い出したりします。今は偉そうに何でも分かっているような顔をしていますが、若いころからたくさん失敗をしてきました。学生のころ、実習で精神科の患者さんを初めて拝見したときは、案外内科の病気と変わらず、薬が効くのだと驚きました。でも実際精神科医として働き始めてから、症状で診断をして、それに合った薬を処方して、確かにある程度は改善するのですが、それだけでは足りないと思うようになりました。それに患者さん側の問題だけでなく、医者の対応で症状がよくなったり悪くなったりもすることも気づきました。診察で(そんなこともわからないの?)と思ってしまったときの自分の一瞥で、次からその患者さんが来なくなったりすることもありました。若いころは仕方ないのですが、未熟でした。どうしてこういう病気になってしまったのか、一回よくなっても、再発してしまうのはなぜなのか、全然よくならないのはどうしてなのか。今でもわかったわけではありませんが、「症状」を診るだけではだめなことはわかりました。その患者さん全体を時間軸で考えることが必要なのだと思うようになりました。こういう家庭で育って、どういう思いをしながら子ども時代を過ごし、人との関係をどう作ってきたのか。人生についてどんな気持ちをもって過ごしてきたのか。病気になったことがその方にどういう意味があるのか。そんなことを自分なりに想像していくことが、その方を「理解する」ということで、たとえ病気が満足するほどよくならなくても、どうしていったらいいのかを、一緒に考えていくことが大事なのだと。でも、実は難しいのです、今でも。つい先日、数年拝見していた20代の患者さん、最近は(ずいぶん成長してきたなあ)とうれしく思っていたのですが、突然警察のご厄介になり、自分の知らない困りごとがたくさんあったとわかったり。ショックとともに反省しました。精神科医だからといって、他人のことが全部わかるわけでもないし、わかる必要もないとは思います。むしろわかった気になってはいけません。ではそこからまた仕切り直しましょう、とあきらめずに支え続けることなのだと思います。AIが発達してきたら、こころの問題も、人が診なくてもわかるときがくるのでしょうか。「人が人を診る」という意味をずっと考え続けています。


2020年10月~自殺について



 最近、俳優さんが亡くなることが続きました。テレビや映画によく出ている方の突然の死、とくに自死の場合は、センセーショナルに伝えられます。皆がうらやむ外見で、仕事も充実していそうなのに、なぜ?と。表面的なことでは他人の内面はわからないということなのでしょう。精神科医として自死について語るのは勇気がいります。とてもセンシティブな話なので、直接知らない人についてコメントするなんて私にはできません。心臓外科医にとって手術の失敗イコール患者さんの死と同じように、精神科に通院していた患者さんの自殺は、やはり「治療の失敗」と思うかもしれません。確かに希死念慮や自殺未遂が、かなりの割合で精神疾患が原因であり、治療すれば救えるものが多いことや、目の前の患者さんが死にたいといったとき、「それは病気だから、病気を治せば考えなくなりますよ」といって、実際よくなることもあります。ただ「死にたい」と思うこと自体が、すべて病気であり治療するべきものと考えるはどうかと思います。今までも、通院していた患者さんが、自ら亡くなることがあると、(自分は何を見落としていたか)と考えますし、最後の最後で私のことは少しでも思い出してくれなかったかな、と無力感を感じます。でもそのときは、「それ」しかないと思ってしまっているのでしょう。ものすごい絶望感と孤独感の中にいるのか、もしかしたら平井堅の歌のように「惰性で見てたテレビ消すように」実行したのかもしれません。聞くことができないので、推測するしかありませんが、重い重いお土産を残されていかれます。200年もたてば、今生きている人は跡形もなく残っていないでしょう。歴史に残る有名人でもなければ、もう病死とか事故死とか自殺とかの記録もないかもしれません。データとしてあったとしても、リアルな個人としての存在ではありません。人の人生は、無数の星の一瞬の瞬きくらい儚いし、そして虚しいものです。でも、目の前にいる患者さんは、私と同じく今この瞬間生きています。「死にたい」と思っていても、診察室にきて話をしている限り、死ぬ以外に何とか切り抜けられる方法はないかと一縷の望みをもっているはずです。私の仕事は、そのことに自分で気づいてもらうことです。「生きていたい」という気持ちを自分はもっていることに。「生きてるといいことあるよ」なんていいません。「残された人のことを考えてみて」ともいいません(これはいうこともあるけど)。「時間」は幸せな時間を永遠にくれないけど、最悪と思っている状況も、必ず変えてくれることを伝えます。薬をのんだり入院したりして、気持ちや事態が変わるまで時間を稼ぐのです。でも最後の最後は患者さん自身にゆだねるしかありません。やはり自分を救うのは自分しかないのです。「逃げ」ず、「おごら」ずのバランスを微妙にとりながらの話し合いです。お亡くなりになった方には、ただただ残念に思います。力及ばず申し訳ないと思います。そして、その瞬間までは、頑張って生きていたことをねぎらいたいと思います。そう先じゃない将来には、自分も「そっち側」にいくのですが、自分はとにかく「今日の仕事」をするだけなのです。空の色が、秋らしく澄んできましたね。体を冷やさないようにしてください。

2020年11月~怒ってください



2020年11月
 11月となると、なんだか1年が終わりそうで「何かやり残してなかったっけ」と焦る気持ちになります。まあ、いつも何か忘れているのですけど。年末に向かっても気持ちはゆったりしていたいものです。ときどき患者さんに、「先生怒ってください」とか「先生に叱られると思って」といわれることがあります。元来怒ったり、叱ったりするのはとても苦手。できるだけ受け入れて、励まして、という姿勢が身につきすぎて、叱るというのが難しいのです。優しくされると、どんどん自分に甘えてしまって、楽に流れてしまうのでは、いう不安もわかります。実際、今は少しがまんして、がんばれば後が楽とわかっていても、できないタイプの方もいます。これは幼少時虐待されていたり、ADHDの方など脳の特性としてもあるようです(すべてではないけど)。ただ厳しくして、恐怖心を与えて一時的にがんばったとしても、続かないこともわかっています。できないときは、自分で乗り越えられそうな目標に再設定して、少しずつクリアーして自信をつけていく、自分はこれならできるんだ、という気持ちを持てるようにしていくのが、今のところは一番確実な方法のようです。時間はかかるけどね。まだ研修医のころだったか、ある患者さんを受け持ちました。都内の大学病院でしたので、時々「偉い」人も入院してくるんです。その方はさる省庁を事務次官レベルまで勤め上げた方でした。定年退職されていましたが、勤務されていたときは、毎朝ハイヤーで送り迎えがきていたそうです。寡黙な人でした。いろいろ質問しても、「ああ」とか、無視されたりします。若いときは、こういう目にあいます。頼りないのでしょうね。地方の病院だと医者とは見られず、廊下を歩いていると、「ちょっと!」と呼ばれて事務員さんと間違われることもありました。(まあ見かけがこれだから、医者にみえないよな)とプライドもないし、腹も立たず、「はーい」といって対応して、あとから医者だとわかって恐縮されたこともありました。で、話は戻りますが、そのお偉い患者さん、なにかの検査をするのを拒否されたので、必要なので受けるように説得していたら怒鳴られました。「あんたは、とにかく、ハイハイっていってりゃいいんだよ!」と。私は反射的に、「何言ってるんですか!とにかくあなたに良くなってもらおうといろいろ考えているのに、何も考えずハイハイなんていうわけないじゃないですか!そんな無責任なことできません!」と自分でもびっくりするくらい大きな声で言いました(いうほど迫力はなかったと思いますが)。患者さんに怒って、それを口に出したことは初めてでしたが、ほんとに腹が立ったんです。さぞその後クレームをうけるかと思いきや、なんと、次の日からその方はすっかり素直になって、こちらの指示をきいてくれるようになったのです。びっくり、ドラマみたいな話です。怒ることが必要なときもあるのですね。それでもいまだに怒るのは苦手。なので、キビシイことを言ってくれる先生をご希望の方は、他のクリニックがいいかもしれません。でもね、私の方針は、ただ甘やかそうってんじゃないのです。とにかく少しでもできる自分を信じて、励ましていこうってことなのです。そしてあきらめないで続けること。それって、結構ある意味厳しいのよ、実際。そこのところ、よろしくね!

2021年1月~ほめほめクラブ発足!


 12月にナースさんたちとともに、ペアレントトレーニングの講習に参加してきました。もともとは発達の問題があるお子さんと、どうかかわっていくかというプログラムです。「好ましい行動」をいかに褒めて、子どもの行動を変え、発達を促進するかというもので、今は問題のあるお子さんだけでなく、幅広く子育ての困りごとに応用できるものです。私も長らく精神科医として仕事をしてきましたが、結局のところ、いかに自分を褒めて、認めていくかということに尽きる気がします。幼少時から周囲に認められたと思えなくて、大人になって苦くなってしまう方の何と多いことでしょう。診察でも、「自分を褒めてね」と1日に何十回もいっているのですが、これがなかなか難しい。。。「自分を褒めるなんて、絶対できない!」「ここで言われたら(そうか)と思うけど、診察室をでたらもうできない」ということをよくききます。私もね、若いころは他人を褒めたり、自分を認めるなんてできませんでした。人を褒めても(わざとらしいと思われないかしら)と思ったり、自分を(どうせ私なんか)と卑下してばかりでした。私はむしろ親からほめてもらったのですが、それはそれで期待に応えなければ!とプレッシャーでした。おそらく親の思うようになってほしいという褒め方だったのでしょうね。だって、「すごい、医者に向いてるわ!」みたいな感じでしたから。。。父の診療所の後を継がない意志を伝えたら、「何のためにお前を育ててきたんだ」っていわれましたからね。全否定された気になりました。今思えば、親も親なりに私のことを考えていたのだと思います。そう考えると、褒めるって難しいですね。自分も子どもにそうしていたかも。それでも今は、自分へのダメ出しはマシになりました。何で変わったのでしょうか。もしかしたら目の前の患者さんのいいところを一生懸命探していたら、だんだん自分にもできるようになってきたのかも。私からみたら、(あなた充分頑張っているのに、なぜ全然だめって思ってしまうの?)という人がたくさんいるからです。頑張っても頑張っても否定し続けていると、とても苦しいです。身近な人に依存的、攻撃的になります。認めてほしい、愛してほしい気持ちをすべて他人に求めたら、(そんなのじゃ足りない!)って思います。相手に依存しながらも、満足させてくれないことを責める気持ちになるのです。そしてさらに自己嫌悪を繰り返していくことになります。褒めるどころではありませんよね。なので、自分への愛を半分くらいは引き受けていかないとね。自分を褒めるのが難しくても、まずは1日の終わりに「今日もお疲れさま」って、自分を思いやってあげましょう。力を抜いて「今日1日を生きる」こと。その積み重ねに、ある時奇跡が起こるのです。「今日も何もできなかった。私って最低…」と思わないようにね。「何も」の中に「何か」があるのよ。一人では難しかったら、一緒に見つけましょう。とにかく時々でもいいから、どうしようもないと思ったら、クリニックにきてね。褒めるポイントをアドバイスしましょう♡さて、2021年、自己肯定感向上委員会発足です。現在「ほめほめ倶楽部」構想中。本年も、スタッフ一同どうぞよろしくお願いいたします。




2021年10月~「聞いてもらう」こと


 秋の雨の日は物悲しいですね。めっきり朝夕が冷えてきました。帰るときにゴミ箱にティッシュがたくさんあると、(今日も何人か涙を流されたなあ)と思いながら片づけます。泣いていただけると、私はほっとします。少し楽になれたかなと思います。ルポライターの杉山春さんの本を読んでいたら次の一節がありました。「本音を語ることは、怖いことだ。…日々の暮らしの中で、辛いことを辛いと言い、嫌なことを嫌と言い、美味しいものを美味しいと言い、誰かと分かち合えることが平和であり、幸せなのではないか」。本当にそう思います。何でもないことなのに、それすらいえる場所、相手がいなくて苦しんでいるひとたちのなんと多いことか。チコちゃんに叱られ、いや、話きいてもらいたいですよね。幸いクリニックには守秘義務があります。基本的に何でも話していただいてよいのです。昔ある病院で働いていたのですが、大学からの出向先でも、そこはとても厳しく指導されるところでした。実際いってみると、噂通りだんだん精神的にしんどくなってきました。幸い1年で任期は終わりだったので、(あと少し)と最終勤務日までを数えながらギリギリでやっていたところ、部長先生に今度の学会で発表しなさいといわれたのです。もし発表するとなると、勤務終了の日を1週間のばし、夏休み返上でやることになります。夏休みには京都一人旅を計画していました。ゴールのテープが目の前にあって、倒れこむつもりが、もう100メートルくらい伸ばされた気分になり、思わず「もう無理です」とお断りしてしまいました。断ったものの、ものすごい挫折感で、意気消沈し、とぼとぼと歩いていたら、小児科医の友人にばったり会いました。思わずさっきの顛末を私が訥々とはなしたら、友人はただ、うなづきながら聞いてくれました。そして話し終わったら、とてもすっきりしたのです。我ながらびっくりしました。それまで自分でそういう仕事をしていながら、「ただ話を聞くだけで何でよくなるのだろう」と思っていましたが、本当に自分が体感できたのです。さて、ではどうして話を聞くと安心したり、すっきりするのか。それは最近いわれている「ポリヴェーガル理論」というものが、なかなか納得する理屈を教えてくれます。機会があればお話しましょう。お風邪ひかないように気を付けて下さい。

2022年3月~特別な存在 愛着


 最近子どもに関する事件が多く、心痛みます。習志野市で児童虐待の話をさせていただく機会があり、改めて「愛着」について勉強しました。「愛着」とは、母性的な(必ずしも母親ではない)特別な絆と、選ばれた特別な存在のことをいいます。その他大勢ではなく、特別なあなた、という感覚。この「特別感」は結構重要です。私は3人きょうだいの真ん中でした。上と下に手がかかり、私は聞き分けの良い子だったので、必然的に親からは手薄になっていました。あなたには何も困らないわと母に言われると、なんだかつまらない、寂しい思いを感じるのが自分でも不思議でした。愛情はないわけではなく、期待もされていましたが、あまり甘えることなく育ったと思います。自分には物心ついたころから、「離人感」がありました。常に自分を外から見ていた感覚、自分が自分ではないような感じです。「離人感」は、思春期のころや、うつ病や統合失調症にもみられる時があります。私の推測ですが、愛着が薄いと、自分の一部を養育者的視点に切り離して、自分を眺めて守ろうとするという仕組みがあるのではないでしょうか。さらに自分も強く愛着を求めるタイプではなかったので、相対的に愛着不足だったのかもしれません。離人感があると「自分が自分じゃない感じ」が続いて、本当に楽しいとか、悲しいとか実感がもてず、外目には冷静な人に見えるかもしれませんが、案外辛いものです。離人感がなくなったのは、大学生になり、初めて恋人ができてからです。誰かにとっての特別な存在になったからなのでしょう。外から自分を眺めていた私は、やっと元にいる自分と融合した気がしたのです。ヒトというのは、悲しいくらい「自分は特別」感を求めてしまいます。親子関係だけでなく、恋愛や友人関係、仕事などあらゆる場面でみられます。足りない人は、親子以外の場面で「自分は特別感」をより強く求めてしまうのかもしれません。これはあくまで、一つの視点ですが。ただ、そういう目で見てみれば、愛着は、安心感、安全感を築き、ひいてはその人らしく生きていけることにつながると、私は日々患者さんから学んでいます。どんな患者さんも、ひとりひとり、です。それぞれの背景があって、それぞれの感情があり、それぞれの症状があります。ついつい病気にばかり目がいってしまわないよう、気を付けていようと思います。3月、今年は忘れずお雛様を飾ろうと思います。



2022年11月~家族のはなし



 11月です。韓国で痛ましい事故がありました。楽しく出かけていった家族が悲惨な状態になって帰ってくるとは、想像しても胸が痛くなります。亡くなられた方やそのご家族には心よりご冥福をお祈り申し上げます。私もちょうど今日は父の25年目の命日でもありました。亡くなってからほとんど夢にもでてくることがないのですが、父にはいろんなことを教わりました。でもどちらかというとネガティブなことです。家族といえど「わかりあう」ことはとても難しいことを知りました。
 父は小学生時代を満州で過ごし、現地で妹を亡くしています。本土に返ってきてから祖父は身体が弱く、祖母は苦労しました。そのためか、祖母を助けようと、父は結婚してからも、母と私たちきょうだいより、祖父母と伯父叔母を優先していました。母としては当然不満ですから、よく喧嘩をしていました。父はまた、子どもの気持ちを汲み取れる人でもありませんでした。苦労したせいか、すごい倹約家で、お風呂はひざ下までの高さまでしか入れず、肩まで浸かったことはありませんでした。私はある日、父がお風呂に入る前に、気持ちいいだろうとたっぷりお湯をいれてみました。喜んでくれると思いきや、お風呂からでた父は「お湯が多くて嫌だった」といいました。その時私は小4くらいでしたが、悲しいというより、(自分が気持ちよくても、他人がそうだとは限らないんだ)と妙に納得してしまいました。父は弟にも冷たく接していました。弟は勉強が苦手で、医師になれなかったのですが、成人して数年口をきいていませんでした。父が60代でがんになり、もう手術もできない状態で入院したときのことです。なかなか見舞いにいかなかった弟が、私の説得でやっと病室にきたとき、父は弟に「お父さんのことを嫌いだったよな。悪かったな」と謝りました。自分の余命はもう長くないと悟っていたのでしょう。弟は号泣しました。私もまさか父が弟に詫びをいれるとは想像もしておらず、一緒に泣きました。そのひと月後に父は旅立ちました。父が亡くなって母が片づけをしていたら、古いメモが出てきたそうです。父がまだ若い医師だった時、麻酔のショックで亡くなった幼い患者さんの記録で、捨てられずいたのでしょう。家族には優しくなかったけれど、自分が思っていたよりも心があったひとだったのかもしれません。家族は一緒にいる時間は長いけれど、ほんの一面しか知らないこともあるかもしれませんね。子どものころは仲のいい家族を見てうらやましいと思っていたけど、この世を去る前にわだかまりを解消できたなら、幸せなほうだったかもしれません。いろんな家族のかたちがあります。秋が深まってきました。体を冷やさないようにお過ごしくださいね。

2023年4月~精神科医って。。。


 桜が満開です。歳とともに、桜の刹那に咲くさまが、妙にしんみりするようになりました。年度も変わり、いろんなことが大きく変わる方もいると思います。焦らずぼちぼち慣れていくようにしてくださいね。突然ですけど、精神科医を例えるなら、どんなイメージでしょうか。私は①建物診断士 ②時計職人 ③金を発掘する人、と思うことがあります。①建物診断士。これはですね、建物で例えると、「扉が開かなくなった」とき、扉だけ交換すればいいのか、建物全体が歪んでいるのか、そもそも土地自体に問題があって、家全体が歪んでいるのかを判断し、それによって対処が違うと思います。人の場合も、身体や心を健康に保てなくなったとき、休息をとるだけでよくなるのか(建物の問題)、そもそもストレスを貯めやすい考え方、つまり自分を大事にできない生き方をしているのか(基礎工事の問題)、もともとの特性があり、昔から社会に適応するのに苦労しているのか(土地の問題)の、どれが主な原因なのかで治療方針がきまるのです。だから建物診断士みたいなもの。②時計職人:困っている症状を引き起こしているのは、何かしら認知(考え方)の歪みがあることが多いです。それを見つけて自覚してもらうこと。その人の感情や思考のあり方をたどる、その緻密さが時計職人。③金を発掘する人:誰にでも、否、少なくとも「なんとかしてほしい」といってクリニックを訪ねてくる人には、必ず自分を回復させる力があります。ご自身でも気が付いていない、ちいさな金のかけらのような、パワーの源があるのです。それを一緒に見つけるのが仕事。だから、金を探す人。いかがでしょう。「そんな感じしないけど」と思われる方、診察で遠慮なく話してくださいな。改めて設計図を広げて、どこに不具合があるのかを一緒に考え、金脈を探す計画を立て直しましょう。しんどい旅も、一人よりガイドがいたほうが、心強いかもしれませんよ。梅雨が来る前に、つかの間の春を楽しんでくださいね。
 
 


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