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九州のド田舎出身女、トロントで日本の感覚を知る

ネット上、特にSNSではたまに「九州では男尊女卑が根強く残っている」と目にする。
私は生まれてから22年間、たまにどこかしらに旅行することはあれど基本的に福岡から出たことがなかった。
なので先述した意見はたまたま槍玉に挙げられたのが九州だっただけでどこも変わらないだろうとどこかで考えていた。
タイトルの通り、他の日本人の価値観との出会いは私にとってはすごくショッキングで、尚且つこれからの人生に希望が持てるような良い気づきだった。

話を始める前に前提として今から書く話は多少のフェイクを入れたものであること、それから私がこの経験をした=九州はこうでああで悪ある!と言うためのものでなくただ体験したこととして受け止めて欲しい。(というか、他人の家庭の様子とか分からなくないですか?)

私の育った福岡の田舎では当たり前のように女達は1歩下がるように育てられた。今は良くなっていると聞くので本当に良かったと思う。
例えば学校行事でリーダーを決める際は必ず男の子から選ばれ、女の子がなれるのは良くて副リーダーでした。同じ遊びをしていても男の子は怒られず、女の子達だけが危ないだろうと怒られるなんてこともしょっちゅうでした。

特に印象的だった体験の例に、親戚での集まりがある。私が生まれた時、既に両親は複雑な事情があり親戚とあまり仲が良くなかったです。当時会ったことのある親戚は母方の祖母 父方の祖母 叔父 叔母 従兄弟2人のみ+一同に会することはゼロという状況だった為、親戚付き合いと言うものを知らないまま中学生まで育ちました。
なんなら祖父が生きてるか死んでるかも知りませんでした。

私が中学生になってしばらく経った頃、ある日突然母に連絡が入りました。
複雑な事情(祖父母の離婚)のため会ったことのなかった母方の祖父が、癌にかかり余命わずかなので最後に孫に会わせてて欲しいと言う旨の電話を私からみた大叔母から受けた母は了承し初めて“親戚の集まり”に参加することになったのです。

昼に集まってみんなでご飯を食べるとしか聞いていなかったので、祖父宅についてびっくりしました。
用意されていた食事はお寿司やオードブルなどの普段あまり目にすることの無い豪華な食事だったのです。
そして奥の部屋から出てきた祖父によく分からないまま挨拶して、さてご飯食べようかとなった時におばちゃんに言われました。
「なんでここに座ってるの?」と。
私は何を言ってるか全く理解できませんでしたが、分からないなりに母について行きました。
すると台所について女の子はこっちだよ、と言われました。そこには綺麗に盛り付けられて暖房の効いていた部屋にあったご飯の切れ端たちが机に並んでいてさも当たり前のようにそこで女の人達はご飯を食べだしました。
なんせ集まりに行くのは初めてだったので(親戚での集まりってのはこういうものなんだ)と本気でなんの違和感もなく思っていたのです。

切れ端とはいえ、ゆっくり食べることくらい出来るのかと思えば、そんなことは無く広間から「ビール!」と声がかかれば持っていくことが仕事でした。
そしてビールを持って行って帰ると空になった瓶と皿を下げないなんて気が利かない!と小言を言われました。
仮にも招かれた側なのにそんな扱いなんだ、とがっかりしたのを今でも覚えています。
ただ、私は血縁関係があるからまだいい方で他のおうちのお嫁さんたちは切れ端すらつまむ暇なくずっと何かをさせられていました。

その時に強く感じたのは、『大人になって結婚したらこのお嫁さんのようになるんだ』ということでした。
元々恋愛脳では無かったのですが、付き合うことはあっても結婚はしたくないな〜と思うきっかけになりました。お嫁さんという立場は当時の私から見ると本当にお手伝いさんのようだったので。
幸い、両親はそのような感覚はあまりなく私に所謂『女の子としての振る舞い』をもとめることは無かったため違和感を持つことが出来ました。これはすごくラッキーな事だったと強く思います。

カナダに来て、色々な国の女の子と仲良くなりました。日本人の子達も日本にいたら絶対に出会わないような、全く違う場所に住み全く違う価値観を持つ人達で本当に話していて面白いです。
さて、たまたま機会があって日本人の女の子達と恋バナをしました。好みのタイプや結婚願望などについて話していた時、一人の子がこう話しました。
「日本人とは結婚したくない。お嫁さんになったら人間扱いされない(要約)」
彼女は鹿児島出身でした。
私は中学生の頃の景色を思い出して彼女に同意しました。まあ、私はそもそも結婚願望自体無かったのですが。

その時あんなにキャッキャとたのしそうにしていた他の子達が静かになっていることに気が付きました。
信じられなかったんですが、ドン引かれていたのです。

どうも九州以外の場所ではそこまでケア要員として動くことを求められないらしい。なんなら座ってるだけで何もしなくていいものだと言っている人さえいて、信じられなかった。それこそ頭を鈍器でフルスイングされたような。
冗談を疑って、何度も何度も同じことを別の人にきいてやっと飲み込めた事実は私にとってありがたい希望になった。

結婚したとしても幸せに生きることって出来るんだ、と。

元々子供は好きだったので子供だけ欲しいな〜と思っていたんですが、結婚しても人として扱って貰えるなら全然結婚したい。
という訳で人生の選択肢が増えました!
幸せになるための道は1人で暮らすか子供と2人きりで暮らすかの2択だと思っていたので。


このことを若いうちに知ることが出来て本当に良かった。そしてこのことは九州から離れなければ知ることは出来なかったので早めに地元離れるって大切だなとガチで実感しました。
別に海外行かなくていいけど他の都市に住んでみた方がいい。自分の凝り固まった価値観を解すきっかけは話してみると意外とその辺に落ちてるのかもしれない。

結婚することは相手の家に入ることではなく2人で新しい家庭を築いていくこと、2人の立場は対等
という感覚 私には新鮮かつ有難かったので気持ちが鮮明なうちに日記として残しておきます。

これから先どうするかの分岐が増えて有難くて幸せだと強く感じます。

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