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春はタケノコ

 今回の妻からのお題は「春」。広いテーマで、人それぞれにイメージが広がると思いますが、私の頭の中にはまず「タケノコ」が浮かびました。
 4月17日は母の誕生日です。我が家には竹林があって、子どもの頃、この日に竹林を歩くと、足で硬いものを踏んづけた感触があります。これがその年初めてのタケノコとの出会いです。このタケノコはそれから何度も子どもの足に踏まれることとなって、大きく育つ前に成長を止めてしまいます。ちょっと可愛そうなタケノコです。約3アールの竹林は、原木椎茸の圃場(ほじょう)を兼ねていました。竹林は、竹が程よく日よけの役割を果たしていて、椎茸の菌を植え付けた榾木(ほだぎ)を並べるのに適していました。
 はじめて見つけた日から10日くらい経つと、程よい大きさに育ったタケノコがそここに生えて、収穫時を迎えます。タケノコは鍬(唐鍬)で収穫します。父親の姿を見よう見まねで、小学生の頃からタケノコ掘りに関わってきました。何かと大人と同じ事をしたがる子どもだったのです。タケノコは真っ直ぐ生えてきません。微妙に湾曲しながら生えてきます。この、凹面側の土をある程度鍬で除け、根の部分が少し見えるようになったところを狙って鍬を振るいます。この「少し根を残す」ところに技術が必要になります。目分量でやや遠いところから鍬を入れ,てこの原理で力を加えると、根の部分が大きくえぐれてしまい、父親に嫌な顔をされます。市場に出荷するため根を整えるときに大きく切ることになり、小さなタケノコになってしまって価値が下がるのです。そう、春のタケノコ掘りは我が家の収入に直結する収穫作業だったのです。高校生になった頃には、私と弟が掘り、父親が出荷のために大きさや量を整える、という分業も確立していました。タケノコは、夕方(あるいは翌朝)青果市場に搬入し、競りにかけられ、地元や県外に流通していくことになります。自分の家で食べるのは、出荷の残りです。でもこの残りが美味しく、煮物やタケノコご飯になり、春の楽しみの一つだったのです。
 震災・原発事故により原木椎茸やタケノコの出荷は禁じられ、父親も高齢になり、圃場としての竹林の役割は終わりました。竹林は純粋にタケノコの収穫場所になったのです。事故後2年ほどは放射線も検出されましたが、今は全く検出されません。結構立派な孟宗竹に続いて破竹も獲れます。我が家だけでは食べきれないし、放っておくと竹林ならぬ密林(竹藪)になってしまいます。せっせと掘って、線量を確認した上で近所や職場に配り、たいそう喜ばれています。また、知り合いや近所の親子に声をかけ、「タケノコ狩り」をやってみたところ、初めての体験に大いに盛りあがり、竹林が自然の財産として活用できることも発見できました。
 温暖化の影響か、近年はタケノコの収穫時期も前倒しになり、母の誕生日は基準にならない事も多くなりました。もうすぐ4月。楽しみなシーズンの到来です。               (2024年3月25日)

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