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海うそ 梨木 香歩

海うそ。なんだそれ。夏だから、海には嘘が蔓延していそうだが、絶対そんな話では無いだろう。表紙絵からも、作者からも、それは間違いないだろう。
「海」という言葉が与えるプラスイメージと「うそ」がもたらすマイナスイメージのギャップに惹かれた。ただそれだけ。わたしの読書は、だいたいこんな感じで始まる。そしてそれなのに、ピタッとハマる本に出会うことが多いのは、なんでなんだろうと思っていたが今気づいた。ハマらない時は、途中でやめているだけのことなのだ。

梨木さんという人の文章力は、老眼の人間に眼鏡を使わせ、無知な人間に1ページ当たり5回以上ググる作業をさせるだけの力がある。その吸引力はズバリ、アンニュイのニュアンス。
生まれる、be born が受動形であるように、生きるって時々あまりにも不条理で、こんなことを受け入れていかなければ生きていけないのなら、いっそ人生を辞めてしまいたい、と思うことが誰しもある。その、生きるということがもつアンニュイさを閉じ込めているからではないか。
この自分なりの解に出逢うのに読了後数日の時間を要した。そもそも読み始めてから2ヶ月の間、行きつ戻りつしながらの読了で、読み終わった時にはトンネル工事をした気分になっていた。

最終章に行き着くまで、なぜこんなにも文語体の如く難解な漢字や表現が多用されているのか、と思うほどの表現の難解さだったが、最終章を一気に読むことができた時、なるほど、漢文体などを使用することも普通であった大正から昭和初期の時代と、令和の現代との差異を表現するためであったかと納得。これは梨木ワールドに一杯喰らわされたと思いつつ。

第二次大戦前の日本が、もしかしてまだ息づく島を、本気で訪れたくなったのは、この本のせいだけではない。
先日横浜で中華料理を食べながら敬愛する師と他愛のない話をしていた時、話の流れで、両親との最後の旅にどこへ行くべきか、という話題になった時のこと。
先生ならどこに行きたいかという問いに対して「人間の切磋琢磨が収斂されているのが文化だとするなら、ヨーロッパがおすすめだな。」という回答。あまりの説得力になるほどと思っていたら「だけど九州もいいのじゃないかな。九州っていうのは、日本が忘れ去ってしまったものが未だ残っている場所だ。ノスタルジーに浸れるし、温泉があるし、食べ物も美味しいしね。」
そこで頭の中で「海うそ」と「旅」がつながった。
いや、これは行くべきでしょう。両親との最後の旅行に失敗が無きよう、下見と称しての一人旅に出ようと決めた。
行き先はもちろん、甑島である。

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