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「祈りと感謝」について

久しぶりに文章を書きたくなったので、投稿します。
テーマは一応「祈りと感謝」です。
特に神道やキリスト教などの宗教的な話を扱っているので、苦手な方にはおすすめしません。様々な思想宗教の存在には配慮して書いたつもりです。

「祈る」という行動には、何やら不思議な力があるようです。
ただ今留学中なのですが、最近インフルエンザに罹り、高熱を出して数日間寝込んでいました。ほぼ治ってからも、なかなか気分が戻らず。
軽いホームシックになりながら、何が足りないのか考えてみたところ、日本では月に一度はする寺社へのお参り(何か特別なことがあればその都度)が、スペインではできないのです。
カトリック教会はたくさんありますが。

ということで、ここ数日は普段日本でお世話になっている神仏への感謝を込めて瞑想をしました。
シャワーしかありませんが、いつも以上に念入りに身体を洗って、テーブルを神棚に見立てて米と水をお供え。
そして正座して手を合わせて目を瞑る普通の瞑想と、簡単な祝詞。
(神道に詳しい知り合いの方に教えてもらったので、手順は間違ってるかもしれないけれど、ピースは合ってるはず!)

毎日祈ることで、だんだん調子が上がってきました。
私が寺社にお参りするたびに、自分のメンタル向上を期するよう自分に暗示をかけているので、とても効きやすいというのはあると思います。私はメンタル管理の一環でそのようにしています。

ところで、何かに感謝し祈るという行為は、宗教的な行為としては洋の東西を問わず普遍的な価値観です。(現代社会においては神の存在については様々な思想があることを踏まえ、神という存在の有無はこの際置いておいても)何かに祈ることで自分自身に暗示をかけるという意味でもかなりの精神的安定をもたらすのだと思っています。

私は寺社を信仰している身なのですが、せっかくスペインにいるので聖書の一節から引用してみたいと思います。

『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそキリスト・イエスにおいて神があなたがたに望んでおられることです。』(テサロニケの信徒への手紙5:16-18)

とても有名なこの一説からもわかるように、キリスト教においても「祈る」という行動は最も根本的な宗教的行為です。

そして「感謝する」という行為もとても大切です。
これは私が最も重んじているものでもあります。私の場合は儒教の聖典「中庸」の『至誠無息』から自分の生きる指針としています。どんな背景があれ、何事に対してもまごころを尽くすことは意義のあることだと思っています。

残念ながら、スペインでも老若男女問わず今は無神論者が増えていて、祈るという行為は軽んじられつつあります。
これは科学の発達というよりもむしろ、50年前まで半世紀にわたってスペインを支配した苛烈な独裁政治と、政治的宗教的に保守権力筆頭として未だ国内に広く影響力を有し、腐敗も広く噂されるスペイン・カトリック教会への不信とも深く結びついているので、仕方ない部分もあると思います。

しかし、スペイン人は「感謝の心」を持ち相手を重んじる文化です。チップや規律がなくても互いに気遣うことが、スペイン人共通のマナーとして根付いていることは、やはり尊敬に値します。「感謝」があるから、店員は客をもてなすし、客は店員を重んじるのです。
日本の接客事情もぜひスペインを見習ってみて欲しいと思います。
それでも、あらゆる場面のサービスや物的な品質が高い日本は、やはり素直にすごいと思います。
だからこそカスタマー・ハラスメントなどの非道徳的行為がとても残念に思います。
これは約80年前にアメリカ人のルース・ベネディクトが『菊と刀』でも指摘していた日本の「分相応の行動を重んじる」文化が今も変容しつつも影響しているように思うので、これまた根深いものだとは思います。
(『菊と刀』については、北米日系移民からの聴取を元に考察された本であり、その日本文化への理解度への批判があることは承知していますが、その正否に議論はあれども、未だに一読の価値はあると思います。)

近頃、日本の美味しい日本食が食べたいと思う日が増えてきました。
ジャガイモとマメと肉とフルーツ、パエリア、オムレツをひたすら繰り返す日々には少し飽きてきました。
日本に帰ったら、滋養のある美味しいものを色々食べたいです。
食べるなら、ご飯と味噌汁、焼き魚の朝ごはん、ラーメン、あとは洋食屋さんの美味しいデミグラスオムライスとハンバーグが食べたいです。

またスペイン留学については気が向いた時に改めて書こうと思います。

おわり

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