【短編小説】隣のAくんが鉢植えに埋まったらしい
隣のAくんが鉢植えに埋まったらしい。
ニートの僕はお隣さんの顔を見たことがないが、気の強い妹が部屋の前でそう告げたので知ることが出来た。
「お兄ちゃんいつまで学校に行かないつもり。いい加減キモいんですけど」
学校に行く前に必ず部屋の前まで来て罵倒してくるので、だらしない兄は嫌でも規則正しい朝を迎えてしまう。
妹は春風で舞った花粉にくしゃみをひとつ。
「もういかなくちゃ。兄ちゃんもご飯くらい食べなよ」
床で陶器がコツンと小さく鳴り、小煩い足音が遠ざかるのを息を殺して待つ。
扉に僅かな抵抗を感じながら開けると、ラップで包んだ皿が押され、視界に入る。妹のおにぎりだ。
おにぎりを片手にスマホを弄るのがニートの日課だ。今日の<つぶやき>は「植物化する人間の神秘」と「未だに開発されない植物化の治療薬」ときた。
Aくんは気の毒だ。一生を終えるまでは人間には戻れないだろう。
「花って意識あるのかな」
自分でも驚いている。
ニートの僕が五年ぶりに玄関前まで立っているのだから。
人と話すのは苦手だが、「物言わぬ花なら話しかけられるだろう」というニート流ご近所付き合いに打って出た。これは大きな脱ニートの一歩である。
恐る恐る戸を開けると、目の前に妹が立っていた。
◇
「忘れ物しちゃった」
目も合わせず僕の横を通り過ぎる妹に瞠目した。まさか素通りするなんて。
久々に兄のご尊顔を拝めるチャンスだというのに、なんと失礼な妹だ、と思う余裕はなく、こちらは久々のお天道様に眉をひそめるしかなかった。
やはり根暗にはお日様の光はきつすぎる。
Aくんへの挨拶はまた来年にしよう。そう思って踵を返すと、妹が大きな薔薇に羽交い締めにされていた。
◇
「ちょっ、あの」
気の強い妹もさすがに参っていた。
触手系モンスターの作品を読んだことがあるが、目の前にするとそんなコミカルなものでは到底なく、「物言わぬ植物が人を襲う」という構図がこれほど不気味なのかと不謹慎ながらに感じてしまう次第である。
活発に動くわけない植物が目の前でうねうねしていれば誰だってそう思うだろう。
毎日僕を罵倒した罰が当たったのだと小生意気にも脳裏を過ぎるが、それは一瞬で、
「たすけて、お兄ちゃん」
妹から聞いた事のない泣きそうな声で、体は言うことをきかなくなった。
怖いという気持ちが飛んで行ったのは、恐らく今日が初めてだと思う。
◇
結論から言うと、僕は植木鉢に埋まった。
「あーこれは〈棘〉ですね」
放射線防護服を全身に纏った職員が家の前を包囲していた。
もちろん野次馬のご近所さんもいる。
妹は肩を落として職員の説明を呆然と聞いていた。
「気の毒に。Aさんが襲われた〈花〉と同じだったらしいわよ」
「植物化の治療も進んでいないのに。あの家兄妹の二人暮しなんでしょう? 可哀想にねえ」
「大丈夫じゃない?」
「なんで?」
「お兄さんの方は外出拒否だって聞いてるわよ」
「そうなの。妹さんはしっかりしてるから大丈夫ね」
大丈夫なわけあるか。
狭い鉢植えに植えられた僕は、「向日葵」という花になっていたらしい。
「お兄さんの方は無害な棘もそうですが、運悪く毒腺のある棘も刺さったようです」
「兄が私を庇って――」
職員への取調べの応答は、耳のない僕にも届いていた。
あまり覚えていないが、妹を助けようと走り出して――ろくに運動もしていないので――すぐに転んで、運良く花の運動器官に鋏が刺さったらしい。
妹の通学鞄から掴み取った鋏は壊れ、更には腕に棘がびっしり刺さっていて感染したようだ。まったく我ながらダサい兄である。
それからというもの、妹は僕をお日様の見える窓際に置いては、水をやったり、たまにサクサクの甘いお菓子を砕いてふりかけてくる。食べる口はもうないのに。
「おいしい?」
妹が言うので「まあまあ」と言おうとすると、そういえば口がなかったなと思って、同じポーズで固まっているしかなかった。
そういえばろくに喋らなかったけれども、最後に妹に向けて言ったのが「うるさい」はまずかった。
せっかく助けてやったのに、あまりにも耳元でわんわん泣くのでそう言ってしまったが、もう少し優しい言葉をかければ良かったと思ってしまう。
「予防接種はじまったんだって」
医療もほんのちょっと進み、植物化する前までなら変異しない薬を開発したと発表があったらしい。
治療薬は相変わらず数百年くらい必要だろうといっているのだとか。
近所からは可哀想だと言われるが、そんなに悪いものでは無い。
文句があるとすれば、この体は太陽の方角をずっと追うのだ。向日葵というやつは厄介である。いずれこの体も東に固定されるのだろう。
お日様は嫌いだ。でも家に居る口実が出来て良かった。
どうせ人間に戻ってもニートしてるのだから。
隣のAくんが鉢植えに埋まったらしい――おしまい。
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