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唐人屋敷の住人とマラソン奮闘記

お久しぶりです。今回は、唐人屋敷から少し離れて、僕の現趣味であり、かつての宿敵であったマラソンについての心の丈を書き記そうと思う。



スポーツ遍歴① お尻が大きな男の子と50m走

まずは、僕の陸上面でのスポーツ遍歴について軽く触れておく。
この章では、陸上の中でも短距離走に焦点を当てて書きたい。
*マラソンとは少しそれてしまう事謝罪しておきたい

小学校の低学年くらいまでは水泳を習っていたが、少しぽっちゃり気味、運動神経に関しては良い方ではなく、どちらかと言えば体育の授業は苦手な方だった。4年生で転校してから水泳をやめ、クラスの男子の中で唯一の帰宅部となった。転校して初めてのスポーツテストの時に、僕は自分の才能の片鱗に気づく。”短距離走”の才能に。そう、僕はお尻が大きい事がずっとコンプレックスで、運動時におしりの見え方を気にし(特にお尻が揺れる事がかっこ悪いと思っていた)、萎縮していた部分があった。しかし、転校一発目の50m走計測時は、一旦お尻の揺れを気にせず、全力で走ってみる事にした。すると、(タイムは忘れたが、)サッカー部や野球部の先輩・同級生なんか敵ではなく、学校で1番速いタイムを記録し、転校早々”俊足の、運動神経の良い奴”という印象を与える事になったのだ。みんな驚いていたが、1番驚いていたのは、間違いなく僕だった!
*ちな、僕の学校は全校生徒数100人程度の小規模学校で、僕の学年は13人しかいなかった

”運動ができる奴”と認識された僕は、サッカーや野球をしないかと勧誘を受けた。確かにサッカーに関しては見るのもするのも大好きで、断った事を今でも少し後悔しているくらいだ笑。なんで断ったかて、それは、そろばんの存在だ。僕は小2からそろばんを始めた。転校後も運良く、同系列の教室があったので、そのまま継続して習うことにした。結構才能があったのではないかと思う。(結果的には暗算5段、珠算参段まで到達した)。そう、そろばんと日付が被っており、そろばんを優先したのだ。

こういう経緯で、小6まで帰宅部だった。
足は速かったので、運動会では、活躍した記憶がある。また、小学校でのハイライトは小体会(小学校体育大会)。クラス規模的に、みんなで陸上に出る事になった。僕は、100m走と400mリレーの2種目に出場した。朝練や放課後、先生総出の練習で、日々鍛えていった。ドラマやアニメ等の影響で、朝練や放課後の練習にはなぜか憧れがあり、特にモチベーション高く練習していた。また、父親の影響で筋トレと出会い、その頃にはぽっちゃり体型とはおさらばしていた。
学校全体としての支えや練習の甲斐あってか、100mに関しては長崎市3位でフィニッシュすることができ、学校で唯一の表彰者となった。個人としても非常に嬉しく、自信になったし、学校の代表として一つ賞を持って返る事ができた事も嬉しかった。内心、どっかのクラブチームとかからスカウトされないかなーとか思っている自分もいたが(今となっては恥ずかしい)、何もなく、そのまま校区の、小さな中学校へ進む事になる。

スポーツ遍歴② 部活が3つしかない?!~外の部活0~


外の部活がないなんて!

前述の通り、僕は校区の中学校にそのまま進学した。学力・運動ともにぱっとしない中学校という事もあり、何かと理由をつけて違う校区の中学校への申請を行ったり、受験したりする子もちらほらいた。僕は、結構勉強はできるほうだったので、受験も考えたが、結局する事はなかった。(手続きの手間、私立においては金額面)*勉強編に関しては、別の記事で書こうかな

某中学校に進学して1番驚いたのが、部活が3つしかないこと。しかも、運動場が廃れている事からわかるように、外の部活がなかった事である。

ちなみに、3つとは、バスケ、卓球、バドミントンである。僕は、個人的には心躍らない3つの中から一つ選ぶ事を強いられたのだ。(サッカーか陸上がしたかった)。まずは、バスケの見学に行った。”無理だ”と思った。小学校からの経験者ばかりで、動きが違う。この中に入っていく未来が見えなかった。次に卓球。スケールが小さく、ワクワクしなかった。よって、消去法でバドを選んだ。当時バドは女子がするスポーツだと思っていたし、今ほど男子バドが盛んじゃなかったので、恥ずかしくてたまらなかった。

こんな感じで、短距離走を極める機会はなく、短距離に関しては、体育測定や運動会でスポットライトが当たるくらいだった。

学年では僕が1番速かった。でも、後輩でものすごく速い奴がいて、自分の才能には限界がある事に気づく事になった。

スポーツ遍歴③ 選択軸は”初心者からでも活躍できる”スポーツ


学力面において芳しくない噂が多かった中で、僕は勉強を頑張り、長崎県の公立高校ではトップの学校に無事入学する事ができた。

入学してからの最初の一大イベントはどの部活に入るかだ。1学年で280人おり、部活数も何十もあるという事に嬉しい反面、開いた口が塞がらないほどびっくりした。

バドに関しては、もともと好きで入ったわけでもないし、バドをしているということに恥ずかしさを感じていたため、却下だった。(僕は筋肉質・日焼けで色黒だったので、一般的なイメージとの乖離が大きかった。「バド部なんだ~意外」と言われる事が嫌だった。)
となると、初心者からでもできる軸で選ぶとなると、ほぼ選択肢はなかった。その中で、1番爽やかでかっこよく、希少性が高いと感じたのがカヌー部で、入部を即決した。

こんな感じで短距離とは縁がなかった。でも、カヌーは川で漕ぐだけではなく、陸上でも筋トレ、長距離走、300mダッシュなど、得意の短距離を鍛える機会もあった。

だからか、高2の体育祭、200×4クラス対抗リレーでは、大活躍した。部活で300mを何本も走らされていたので、200mは体力的には楽勝。自信はあった。また、僕は同じ中学出身の子がおらず、あまり高校で知名度はなかった。だから、リレーにおいても注目されることなく、完全にダークホース的存在だった。期待もされず、比較的楽に挑めた。僕は第一走。予選では2位でバトンを渡したが、決勝では1位でバトンを渡し、勝利に貢献できたと思う。2走を走る友人も”まさか1位で来るとは思ってなかった”と動揺していたくらい、サプライズを巻き起こした、そんな高2の秋だった。

総括・次回予告

こんな感じが、僕の短距離走との関係である。短距離に関しては、得意で、ヒーロー的ポジだった。

一方、長距離走に関しては、真逆。劣等生も劣等生だった。どうしてこんなにも能力値の振り方が偏っているのか笑。学生生活で切ってもきれないのがマラソン大会だ。僕は大嫌いだった。ビリの方で、かっこ悪いし、そんな遅い自分がダサく、嫌だった。

次回からは、そんな僕がどうして大学生となった今、ハーフマラソンに挑戦し、完走に至ったか、その経緯について書いていこうと思う。
長くなりました、やっと本題に入ります!笑










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