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歌舞伎町の友だち

 ※この話は一部フィクションを含みます。

 もうずいぶん昔の話ですが、名刺の肩書が「ライター」「記者」だった頃、歌舞伎町を歩く機会が何度もありました。
 あの街で出会った人たちのことを備忘録として書こうと思います。

 最近思い出したのは、Nちゃんのことです。
 Nちゃんを思い出したのは、あるバウンダリーワークに参加したことがきっかけでした。仕事柄、心理学の勉強をしているため参加したワークでした。

 ここで言うバウンダリーとは、自分と他者とを区別する心の境界線を意味する心理学用語です。ものすごく簡単に説明すると「私は私、あなたはあなた」と区別することを指します。
 たとえば、「私」の持ち物である鞄の中を「私」は見てもいいけれど、「あなた」が勝手に見るのは違う。同じように、その鞄の中でペットボトルの水があふれて水浸しになってしまっても、それはペットボトルのキャップをきちんと締めないで鞄に入れた「私」の責任であって、「あなた」が謝ることじゃない。
 というように、自他の境界線と責任の範囲を自覚することで自分の心を防御し自立する、というのがバウンダリーのざっくりした説明です。

 さて、Nちゃんです。
 Nちゃんは知り合いの紹介で親しくなった女の子です。つるんであちこちに出かけるということは少なく、「デート」と称して二人で食事したり、SNSでリプライのやり取りをすることがメインの交流でした。

 Nちゃんはクレイジーな人でした。童顔で小柄、さらに驚くほど理知的な話し方をするので地頭の良さを感じさせるのですが、話す内容はM女調教とか射精管理とかそういう類ばかりでした。あけすけに性的なことを話すわりに私生活は謎で、そこが私にはもどかしく感じる反面、好もしくも感じました。
 一見ハチャメチャにやっているように見えるNちゃんの通奏低音には常に諦念の色があるように感じられ、それが心地よかったのかもしれません。

 あの夜、二人で歌舞伎町にあるバーで飲んでいたときのことです。二人掛けのソファ席で「はるちゃんのこと、もっと知りたい」と言われました。Nちゃんは他人の目をまっすぐ見て話す人です。このときも、真っ黒な目玉が私の目をしっかり捉えていました。Nちゃんの物怖じしない態度は、自然と相手の居住まいを直させるところがありました。

 Nちゃんの性的対象には女性も含まれており、私のこともそうした目で見ていることには以前から気付いていました。そしてそれは当時の私にとって、結構うれしいことでした。
 そういうわけなので、今日このあとホテルに行く流れになるかもなあ、と思ってはいました。しかしその前段階として、Nちゃんがきちんと手順を踏んで私を口説こうとしていることがわかり、少し驚きました。
 彼女は、まあ、有り体に言ってしまえば変態なのですが、同時にとても紳士的な女性なのでした。私はNちゃんがいよいよ一線を越えようとしていることを悟りました。
 Nちゃんは「お互いのことをもっとよく知るために、人生で転機となった出来事を書き出そう」と提案しました。お互いの年表のようになったそれは、とてもパーソナルなものでした。

 私は基本的にコンサバティブな人間です。大きな事件は寸前で回避し、本当に危険だと思われるところには近づかないようにしてきました。さほど刺激的な体験もしてきていません。しかし、この作業は正直に言って、苦痛なものでした。見ていて面白い年表が作れないことが苦痛なのではなく、自分の本質を開示することを要求されている、この状況にストレスを感じていたのです。まして私とNちゃんは、お互いの本名さえ知らない仲。セックスはできても、友達ではないのです。

 Nちゃんの年表は、凄惨とも言えるし、歌舞伎町にいる女の子の平均とも言える内容でした。つまり、暴力、虐待、ネグレクト、男、風俗…、といった要素をコンプリートしていました。
 私は……私は、彼女を賢い人だと思いました。彼女は、自分の人生に起こった数々の事件を客観的に認知・分析して、その上で受け止めていました。そして同時に、怖い人だとも思いました。彼女にとって、その過去はどうでもいいものなのだと分かったからです。もっと言えば、どうでもいいこと、見せてもいいことしか書いていない。彼女の年表を見て、彼女自身からそれにまつわる物語を聞いても、彼女の本質に近づけた感覚はぜんぜんありませんでした。お互いの過去を可視化して共有し合うことで、彼女がバウンダリーオーバーしようとしている。この一連の自己開示は、それが目的なのだということを私は直感的に感じました。

 Nちゃんはとても魅力的な人です。だから人を依存させるのがとても上手でした。SNSの書き込みや普段の話しぶりから、そういった彼女の怖さには気付いていました。しかし現実として、自分が捕食者として彼女の前に立たされると「骨までしゃぶり尽くされるかもしれない」と感じました。草食動物の本能、危険を告げるシグナルのようなものが、そのとき初めてはっきりと、警告音と共に明滅したのです。

 私はNちゃんとの間に、境界線を引き直しました。Nちゃんもそれに気付いたのだと思います。デートのあとホテルに行くことはなかったし、その後もなんとなく機会がないまま、私たちはそれっきりになってしまいました。

 あれから10年以上の月日が経った今になって、あの日彼女が書いたあの年表は、本当に「どうでもいいもの」だったのか考えるようになりました。もしかしたら、あれは彼女なりのSOS、あるいは誠意だったのかもしれません。
 たとえそうだったとしても、私はやっぱり同じ選択をすると思います。
 皆さんなら、どうしますか。

 Nちゃんは、今どうしているのでしょうか。あの街に行く必要がなくなり、彼女とつながる手段も失った私には、それを知る術はありません。
 ただ、人形のように綺麗なあの女の子が、どんな形であれ、楽しく生きていてくれればいいなと思います。
 それだけが、あの閉鎖的な街の女の子たちの、唯一の救いになると思うからです。


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