6/4 「私は日記を書いていたことがある」
私は日記を書く。そう言ってもよいのだろうか。自分が最後にしたnoteの投稿を見直してみた。いや、読み直してはいない。日付を確認した。自分の過去の文章を読み返すのは健康に悪い。その過去が遠ければ遠いほど。
2023/02/07。これが最後にした投稿らしい。4か月前。これはもう「日記を書く」などと形容してはならない。現在形とは、過去から現在、現在から未来へと続く習慣や、不変の事実を表すのだ。今の私にとって、日記とはまず間違いなく習慣ではない。「私は日記を書いていたことがある」
どうしてこのようなことになってしまったのか。言い訳なんていくらでもできる。今の私は、おそらく人生の中でもトップクラスの「忙しい時期」であるからだ。お察しください。
だが。ならば何もしなくていいというわけではないのかもしれない。平仮名が多くて申し訳ない。漢字って偉大だよね。むしろ、このようにして何か文章を書くことを習慣付ければ、実生活にも何かしらのプラスがあるかもしれない。
「このように」じゃないな。私は全然できていない。だが周りを見渡せば、たくさんいるのだ。何百日も日記を書き続けている人が。
どこかにいるのだ。例えその人が朝の満員電車で、中田敦彦のYouTube大学を見ていたとしても、日記を三年間欠かさず投稿しているかもしれない。どこにでもいるのだ。夕方のコンビニで、煙草を番号ではなく、銘柄で注文しているかもしれない。
近況。
ノクチル飴。買った。ゴミを捨てるのが名残惜しいので取ってある。
これってさ。海だと思ってたんだけど、空だったんだね。
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