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30 中高年が行く南インド57泊59日⑥ (ラーメーシュワラム→マドゥライ)

「マドゥライ行きはオーディナリーだけです。バススタンドから毎日出ています」
 代理店の店主はにっこり、きっぱり言った。
 そうか。
 がっくり。
 普通バスしかないのか。
 じゃあ外の看板は何やねん、とツッコみたいところだが、ないものはない。ローカルバスでのんびり行くだけのことなのだった。

 出発の前日、念のためバススタンドまで確認に行った。
 先週ウルトラ・デラックスで到着したラーメーシュワラムの玄関口だが、案内所も何もない、市バスの終点車庫みたいな広場だ。
 英語表記はないから、単語帳からタミル文字の "マドゥライ" を拾ってメモ帳に書いてきた。

                                  மதுரை

 すると、バススタンドに着くなり目の前にその文字を掲げた車体が現れた。
 おお!あるやん!
 運転手に、明日も乗れるか、始発は何時か、タイムスケジュールは等々尋ねてみたが、「ノーイングリッシュ」と困った顔をするばかり。
 すると、ランニングシャツ姿の男性が後部座席からやってきて、英語で「早朝は10分おきに、9時以降は1時間に1本だ」みたいなことを説明してくれた。車掌だろうか。ランニングシャツで。わからん。
 とにかく1日に何本かはありそうなので、安心して町に戻り、顔見知りになった店の人たちに明日出発の旨を伝え、翌朝早く、 ISLAND STAR をチェックアウトした。
 夜明けのガートはすでに沐浴する人々で一杯だった。さよなら すてきなラーメーシュワラム。さよなら よいお祭りを。

 で、バススタンドだ。
   மதுரை 
は、また突然現れた。
 運転手、車掌、乗客にも「マドゥライ?」「マドゥライ?」と確認して着席する。よかった。行ける。

 そして、ここからマドゥライまでの記憶がない。
 安心したのか、あまりにも順調で退屈だったのか。
 日記帳に、以下の記述があるだけ。

" マドゥライ行きは突然やってきた。7時45分頃発車。ローカル、とちゅうのりおり多く満員、でも ずっと 道がよくて、12時頃 新市街に到着。"

 4時間ほどで目的地に着いたようである。
 3回目の訪マドゥライ。南インドではコヴァーラムと並んで好きな町だし、もう絶対的に信用してるし、日記は以下のように続く。

" リキシャに促されるまま旧市街まで乗り、チープホテルに連れていかれ、
でも部屋良いし場所もいいしまあまあチープだしcheck in、
HOTEL AKIL TOWER 301号室。テレビ付き T 650Rs. 日払い可。"

 そんな感じで旅の後半が始まった。
 1998年と2002年に泊まった安宿 RAVI LODGE は、建物を残して廃業していた。剥げた看板はそのままだ。ガラスの扉から中を覗いていたら、通りがかりの人に「そこはクローズドだよ」と声をかけられた。寂しい。営業していたら宿替えしようと思っていたのだが。

 それでもマドゥライはやっぱり活き活きしていた。ヒトとカミサマ、祈りと喧騒、何もかもごちゃ混ぜに、聖なるミーナークシ寺院を囲んでわいわい暮らしてる、そんな感じ。

 わたしたちは町を歩きまわり、ミーナークシ寺院を詣でた。
 フルーツ屋台でスイカを食べた。
 ガンディー博物館を見学した。
 サトウキビジュースを飲んだ。
 小洒落た書店でタミルナドゥ州の地図を買った。部屋で広げて見てみると、ここまで相当な距離を移動した気がするけれど、実際は最南端からほんの少し北上しただけとわかって笑ってしまった。
 広いインド。楽しいマドゥライ。おしゃれなカフェだってある。

 しかし。 
 わたしは疲れてもいた。
 何をするにもわたしが考えて決め、値段交渉やら料理の注文やら何やらかんやら全部わたしがする。 
 そらそうだ、ひとり旅ならそれが旅だ。それが妙味だ。が、もうひとりいる。しかも何もしない。いやまあ、しょうがないか、バックパック旅は初めての人なんだから。 
 いやいやしかし。
 「マリーさん、なに食べたい?」「ワタシは何でもいいよ」
 「マリーさん、次どこ行きたい?」「ワタシはわからんから、どこでもいいよ」って 若いカップルかっ。

 マドゥライ3日目の午後、部屋でテレビをつけてマリーさんが言った。
「冷たいペプシ買うてきてくれる?」

 ぷつっ。切れる音は陳腐だ。
「あたし添乗員ちゃうで」

 マリーさんを部屋に残し、1つしかないルームキーを持って町へ出た。ペプシを買うつもりはない。
 ああ・・・大好きなマドゥライが台無し・・・。

⑦につづく

 

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