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26 中高年が行く南インド57泊59日② (コヴァーラム・ビーチ)

 トリヴァンドラムの暗く狭苦しいホテルは翌朝早々にチェックアウトした。長いフライト(飛行機大嫌い)と(無駄な)気遣いで疲れすぎてよく眠れなかったのだが、南インドの下町できらきらの朝日を浴びると、なんというか、うぉぉぉぉとチカラが漲ってくるような。
 マリーさんにも漲ってきたかどうかはわからないけれど、「さあ、海やで」って張りきってコヴァーラム行きバス乗り場に向かう。
 昔から変わらない11番で待っていると、おお、来た、バス。車掌が「ビーチ?」と問うので「イエス」と答えると、よし、乗れ乗れと合図する。ウソやんと思うほどスムーズにコヴァーラム。

 1998年と2002年の2回、ひとりでここに来たことがある。マリーさんも気に入ってくれるといいが、人と土地の相性というのがあるから他人のことはわからない。

 終点まで乗っていたのはわたしたちだけで、バスを降りると「チープルーム、チープルーム」と強欲そうな、ホテルのオーナーだというおっさんに声をかけられた。インド的に、値段交渉は男がするものなのかマリーさんに向かって話しかけるが、初バックパッカーは気配を消して佇むだけなので、わたしが対応する。
「チープっていくらよ」
「2000ルピー」
「チープちゃうやん」
「いくらなら払う」
「ふたりで500」
「ありえん」
「じゃあいいわ。ほか探すから」
「いやいや、500の部屋もあるから。見るか」
 様式美とも言えるやり取り。マリーさんは興味なさそうに突っ立っていた。面倒なことは人任せにする性分である。
 オーナーに連れられ、ビーチから路地を入ってHOTEL WILSONに着く。阿漕な匂いぷんぷんのおっさんオーナーと違ってスタッフは感じよく、500ルピーのチープルームも悪くない。
 おっさんはさっさと消えてしまったので、スタッフに2週間分前払いして荷を解いた。波の音が聞こえる。2階建ての1階部分でテラスがあり、中庭が眺められ、中庭にはバナナの木その他が植わっていて涼しげ、浜から帰ってきたときの足洗い場もある。部屋は10畳ほどで、バスルーム(水シャワー・インド式)もまあまあ広い。巨大なダブルベッド(マットレスべこべこ・ブランケットなし)がどかんとあるだけだが、昨夜のホテルが狭かったから、マリーさんは「広い広い」と喜んでおる。
 スタッフに日当たりのいい2階部屋とプール付きの別棟を勧められたが、日は外に出たら死ぬほど当たるし、海を目の前にしてプールは要らない。

 軽装に着替え、朝食を食べに出た。昨夜の機内食から何も食べていない。海沿いのレストランは昔より数が増え、洗練され、全体的におしゃれなリゾート地になろうとしている・・・けどなりきれていない感じ。浜では漁師たちが地引網を引いている。
 波打ち際を灯台の下まで歩き、ビーチの端のカフェで、Indian Breakfastを注文した。プーリーと豆カレー、ジュースとコーヒーのセットで250ルピー。なめとんか(怒)という外国人料金だが、リゾートだから仕方ない。そして、美味い。

 どうにか落ち着けそうだ。が、ひとつミッションが。これからの2週間でわたしたちはそれぞれ「塔短歌大賞」と「新人賞」に応募する短歌30首連作をつくらねばならない(ま、ねばならないわけでもないが)。完成させてトリヴァンドラムの中央郵便局から投函だ。

 ビーチ周辺はずいぶん変わっていた。開発され尽くし、寂れつつあるようだ。
 旅行者も若者より年配の欧米人が目立つ。楽園の思い出を辿るように。わたしもそんなコヴァーラムの一部なのだな、きっと。
 でも、大好きな場所にいることが嬉しくて楽しくて毎日高揚していた。辺り一帯はおしなべてツーリストプライスなので、バスでトリヴァンドラムに出て、スーパーマーケットで日用品を揃えた。歯磨きとかシャンプーとか。ちょっとしたおやつとか。

 マリーさんはまったくもってインドに溶け込んでいる。ように見えた。なにごともごちゃごちゃ言わない人である。まあ良いのだろう。たぶん。左利きなのに右手でうまくゴハンを掬っているし。南インドの定食ミールス。うまいうまいと良く食べる。何よりだ。それと、赤バナナ。えらく気に入って、スーパーで房買いし、テラスの洗濯物干しの端にぶら下げておいて毎朝1本ずつ朝食にした。

 そんなこんなでルーティンもできてきた。
 赤バナナを食べたらビーチのカフェpupiesに出向き、短歌をつくる(努力する)。午後は、いつもがらがらでやかましい洋楽がかかっていないレストランLEO(でも何でもすごく美味しい)で、短歌をつくる(努力する)。或いは短歌をあきらめ、海に入ったり昼寝したりする。ときどき街へ買い出しに行く。

 顔見知りもできた。pupiesには大体いつも同じメンツが集まる。始終不機嫌そうなヘビースモーカーのドイツ婦人(わたしたち即ちアジア人が嫌いと見える)、その知り合いのおじいさん教授(なんとなく教授の雰囲気)、上半身裸でネパール帽を被っている英国人(かどうか知らんけどイギリスの、ナントカという俳優に似ている)、めちゃくちゃ爽やかなアメリカン・サーファー(っぽいがヨガ講師らしい)。
 LEOの店員。ペンを握りノートを前に苦しんでいたら、作家なの?と聞かれた。
 ミールス屋の親爺。雑貨店の主人。BBQレストランの客引き。
 それから、いろんなモノ売りたち。煙草売り、太鼓売り、布売り、サングラス売り・・・。商品を携えてツーリスト相手に売り歩く。ドイツ婦人はいつも同じ煙草売りから買っていた。
 布売り青年に「来月買うよ」と言ったら鼻で笑われた。いや、本気なんだけど。帰国前ここに戻ってくるから、そのとき買うよ、ほんとに。

 たまに停電があるけれど快適なコヴァーラム滞在で、二人ともどうにか30首の連作が出来上がった。LEOのテーブルで原稿用紙に清書していたら、店員が「有名になったらサイン本送ってね」と言う。あはは。最高やわコヴァーラム。

 なのに。
 清書を終えた翌朝、テラスからマリーさんが呼ぶ。
「バナナ。盗まれた」

 吊るしてあった赤バナナの房が消えていた。
 庭を見て回ると、隅っこに剥かれた皮が散らばってある。
 あまり感情を出さないマリーさんがぼそっと、
「こんな泥棒宿、嫌やな。明日出よう」
と言った。そ、そんなまた急な・・・。
 しかし確かに、夜中に誰かがテラスにいたと考えると気味が悪いし、怖い。カラスの仕業とも思えない。

 どんみりと荷造りし、明日の朝、カニャクマリか、またはマドゥライか、バスのある方へ向かうことにした。
 ああ・・・バスはあるのか。作品投函はできるのか・・・。

③へつづく
 


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