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大切なもの

私は2022年12月コロナウイルスを発症し、
現在も自律神経の乱れによる後遺症に苦しみ
休職している高知市在住の24歳である。

前回人生の目標を書いたが、実は最近まで特に人生について深く考えることはなかった。

大好きな野球での挫折

高校まで9年間野球に没頭し、ずっと野球をしたいと考えていたが、生まれつき眼の病気で視力が悪く、どんどん野球のレベルが上がるたびにそのスピード感に眼は追い付かなくなった。
もともと捕手であったが、投手のボールを思うように捕球できないと判断し、外野手に転向した。しかし、打者が打った瞬間ボールを見失うことが多く、スタートが遅れることは野手として致命的であった。守備を打撃でカバーし、ベンチまで入ることはできたが、この頃から
高いレベルで野球することは難しいと感じ、大学では
草野球を少しやっていたくらいだ。

大切な人との出会い

コロナ禍に入り、やっとの思いで就職したが、
配属先の関東には、友達はゼロであり、職場の同僚は30代以上の年齢の方ばかりで
プライベートで気軽に会えるような関係性ではなかった。土日になってもつまらない日々が続き、なぜ働いているのか?自分は何をしに関東まで来たのかわからなくなっていた。
そんな時、彼女ができれば何か変わるのではないかとマッチングアプリを始めた。
時間はかかったが、私の事を大事にしてくれる
かけがえのない存在に出会えた。
彼女と出会ってからは毎週末会うのが楽しみで
高校以来の生きていて楽しいという実感がある。

そんな彼女を象徴するエピソードがある。
実家で療養となり現在遠距離となり、
連絡を取る手段は携帯電話のLINEだけなのだが、ある日私の携帯電話が故障し、1日連絡が取れなかった。
毎日夜1時間程通話をしていたので、
彼女は心配するだろうと思っていた。
次の日携帯電話の修理が終わり、LINEを開くと
やはり不在着信と心配のメッセージが来ていた。急いで電話をすると彼女は泣いていた。
私が携帯電話が壊れて修理をしていた。
心配かけてごめんねと言うと
彼女はLINEをブロックされて何かあったのかと思った。無事で良かったと言ってくれた。
こんなにも自分の事を思ってくれて感謝しかなかった。
だからこそ早く病気を治してまた元の生活に戻りたい。

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