お金が欲しい!〜欲しいといいながら持っていたくない〜
いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです
心の病みで真っ暗だった50年
そこから一転
本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た
そんな私の
過去や今のストーリー
を綴ったブログです
私は50代のパート社員。離婚して、今は高一の次男と暮らしている。長女、長男は父と暮らしている。
私は50年ほど、お金が悩みの人だった。
いつも、いつもお金がなくて、借金ばかり…。なんで、私はこんなにお金がないのか?本当に困っていた。そうゆう運命なの?ってほど(笑)
私は小さい頃、交通事故にあっていた。50年近く、【抑圧】していた。
【抑圧】って…。受け入れ難く、不快な体験の記憶や感情を、意識から締め出して無意識に追いやり、意識にあがってこないようにすること。と、私は認識している。
交通事故の、その不快な体験の中の一つに、【お金を持っていたから】と言うものもあった。お小遣いを握りしめて、買い物に行こうと横断歩道で、友達とひかれた。友達の方が重症だった。
ひかれた事で、心配されるどころか、家族の皆に責められた。
自分達が預かった【大事な人様の子供】に、ケガをさせた大人達は、皆、私の【せい】にした。
大炎上している大人。
(大けがしたの)【みよちだったらよかったのに】
それから、嫌われない様に、追放されない様に迎合しながら、生きてきた。自分を裏切って生きてきていた。
私は数人から、よく責められる人だった。いつでも責められた。
一緒にいる人が、泣きだしたりするほどだったり、
【あんなに人を責める人見たことない】って唖然とする人もいるほどのものだった。
ずっと再体験をしていた。
その【幼少期の責められた記憶】を繰り返していた。繰り返し、繰り返し、何度も何度も。
それらが意識に上がった時には、立ってさえもいられないほどの衝撃だった。この衝撃を4.5才で受けていたなんて…。
ずっと、気づいてほしくていたのだろう。
50年近く抑圧されてきたこの記憶。
その苦しい心の中。
なんでも【せい】にしていた。
愛されないのは【お金】の【せい】。
事故にあったのは【お金】を持ってた【せい】
その幼少期の事故によって、いろんなものが絡みついていた。
数年前のある日、お金のやり繰りに困っていた。(いつもだったけれど)
どうしよう…。支払いが出来ない…。長女からお金借りる?って自分で悶々としていたら、『お金借りたら事故るかもよ』って意識に上がってきたのだった!!
え…?なに?それ…?
私はお金を持っていると、事故ると無意識にあったのだった!
よく考えたら、給料日に車をぶつけたりしていた。
だからだったのか…。
そして、私はなんだか、お金を持っていたくなかった。
お金欲しい、欲しいと言いながら…。
なくしそうで。
おとしそうで。
とられそうで。
なくしてしまいたかった。
何を?
…。
【無意識】から【意識】にあがってきたのは
【命】だった。
私の無意識にあった定義は
【お金🟰命】
だった。
お金をなくす🟰命をなくす
お金をおとす🟰命をおとす
お金をとられる🟰命をとられる
お金をなくしてしまいたかった。
命をなくしてしまいたかった…。
だからお金を持たない様にしていたんだ!!
無意識に。
少し前に、お金🟰自分
と、書いてあるブロガーさんの記事を見かけた!【あなたにおすすめの記事】で。
しかし、読んでいる間に寝落ちしてしまった!いいねもつけずに、わからなくなってしまった…。
と、言うことは
自分をなくす。
自分をおとす。
自分をとられる。
自分をなくしてしまいたかった…。
私が【幼少期】にしてきたこと全てだった。
自分を知るには、本当に【幼少期】がポイントなんだとつくづく思う。
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