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住む世界が変わった…〜人は皆助けてくれる〜















いつも不安で生きてきた
アラフィフみよちです

心の病みで真っ暗だった50年


そこから一転


本質的な幸せを感じられる心を
取り戻すことが出来た

そんな私の過去のストーリー
を綴ったブログです









私は離婚2回している



自己破産もしている






今は末っ子の次男と二人暮らし。






自己破産する時は【もう無理!払えません!】だけではなくて、なぜ【こんな事になったのか】をしっかり理解した上で自己破産した。





自己破産する時の申請の書類でもあるのだけれど、いつ、なんのために、どこから、どうして借りたのかをみっちり書く作業がある。そこがキモのキモ!って弁護士事務所の方から言われた。とっても大変な作業だったけど、誰がいて、誰から言われて…?そして、人間関係も整理していった。素晴らしい作業となった。なんとまぁ同じ事を繰り返して生きてきた(笑)






自己破産が完了しました!って連絡がきた。




あっという間だった。車がありえない早さで、売却となった事によってサクサク進んだ様だった。




よしっ!




新しく生きるぞっと爽やかになった次の日








次男が【糖尿病】と診断され即入院…。







専門医がいないから他県へ転院となった(不登校だけど尿検査を出したら、すぐ病院へ!と連絡)








前から2人でなんだかまずい、病院へ行った方が、、とは話してはいた。みるみる痩せていって、やたらトイレに行く…。寝てると足がつる。次男自身、大好きなジュースを炭酸水に変えたりとしてみたけれど、そんな簡単なことではなかった。





夜中、足をつったときに寝ぼけて『生きているのが憎かった…』て言っていた。






地元の病院ですぐ入院となった。金曜日に受診したため、週末だけ地元で入院して、月曜日から他県の病院に転院になる…。先生が「お母さん、ラッキーなことにマクドナルドハウスがあるんです。今すぐ連絡して予約を!」と教えてくれた。私の泊まるところ確保。





お金…。




自己破産して、もう借金は払わなくてよくなったけれど、次の給料日までなんとか暮らせる分しかなかった…。





市から物価高騰の支援金、1人親だから5万円入る…でももう少し先…。



母から5万借りて、特急電車で向かった。1人4000円。高いって言う人もいるけども2時間足らずで着いて、ゆっくり座れて…。



自分の車があったとしても、ガソリン入れて慣れない他県に行く心細さからしたら、4000円で連れて行ってくれるなんて【ありがたい】限り。




マクドナルドハウスなんて私は知らなかった。




人様の善意でこれほど、、と言うほど素晴らしいものだった!




【必要な時に必要なお金は入る。】





でも、来月の家賃やらもやっぱり心配。




週の4日パート連勤した夕方から特急電車で病院に行き、3日間マクドナルドハウスにいてというスタンスで
通った。有給休暇も使えるだけ使わせてもらえた。





次男は生まれてから皆に虐められ(もちろん無意識で)生きる事に絶望していた…。





それを紛らすかの様に、食べても食べても癒えないのに食べ続けてきた次男。今思えば、自分の体を痛めつけているかの様に食べていた…。





私は、小さい頃から好き嫌いの激しい次男に、何もしなかった。食べやすくしてあげるとか、工夫する事も、何にもしてこなかった。二人で暮らす様になってからは爆食いもおさまりつつあったけど、強制終了…。







色んな検査をして、もうこれから先、インスリン注射とリブレの生活…。中学生だから自分で全てできる様に毎日毎日指導されていた。






ほぼほぼ食べれない病院食…。





入院中、治療を進めていたら劇的によくなり、インスリンをもう打たない生活に戻れそうなところまできた!




外泊も許可がでて、食事は病院食だけど2人でマクドナルドハウスに泊まったりも出来る様になった。




ちょっと違うけど、次男との2人旅。




病院から出れてはしゃぐ次男。





野菜食べてないな〜、食べたいなって思ったらボランティアの人が10品目の野菜スープ、手作りお弁当を用意してくれていた!





世界が変わった…




ドクター、看護師さん、栄養士さんに事務員さん、ボランティアの方、私達にとても親身に話しを聞いてくれドンドン助けてくれた。





そう、昔は誰も助けてくれないし、守ってくれない。わかってくれない。





ずっとそう思い込んでいたんだもの…。






マクドナルドハウスで休んでいたら、おばちゃん(母の姉)から電話がきた。




『(母)から聞いた〜。大丈夫?
しかし、出すお金によって治療が違うって何?金次第なの?病院って?(母)がそう言うんだけど?』




え〜!?そんなわけないじゃん。そんな事言っていないよー。




『人間なんて自分のいい様に話を捉えるもんなんだよ』『私もおかしいと思った』っておばちゃん。




小さい頃から私、母から【嘘つき扱い】されてきたけど、お母さんがおかしかったのだ。そんな親に育てられたんだからコミニケーション能力なんて、私、あるわけなかったな…。






おばちゃん

『お金大丈夫?』って心配してくれて【お母さんに5万円借りた】



『借りた?もらったんじゃなくて?じゃ私が5万円あげるね』




ありがたやー。





その後、すぐおばちゃんからLINEがきて、『もう疲れてるんだからタクシー使ったら?』って心配してくれていた。




病院、バス、電車、徒歩の話をきいて気づかってくれたのだった。




比べる訳じゃないけど、母だったらお金もったいないから疲れてても、歩けるなら歩けって言う(笑)







他県から夜帰り、次の朝にはおばちゃんがアパートにきて5万円とお見舞い金2万円わざわざ届けてくれた。





ありがとう。助かった…。







朝、出勤前にコンビニに寄ったら、わたしの上司でもある友達がいた。【ここには無いから】って違うコンビニにはしごしていった。そんなにどうしても食べたい物があるの〜?(笑)と先に会社に行った。








電車の時間がせまり、退勤しようとしたらその彼女が、【これ電車で食べて】ってコンビニの袋!





え!わたしの【好きな】お菓子を探してくれていたの?彼女は多忙でまともに休んでないはずなのに…。





【身体に気をつけてね】って、送り出してくれたのだった。




おばちゃんから、【タクシー乗って帰るのよ】ってもらったお金と、彼女からもらった【私の好きなお菓子】を握りしめて電車に乗った。





二人の、とっても暖かい気持ちにただただお礼をいっていた。






そして、次男は脅威の回復を見せ、退院できる事になった!飲み薬だけでよくなった!







退院の日は風も澄んでいて、気持ちの良い日だった。





次男はうっすら目に涙をためて、幸せだと言った。




外の空気はうまいっ!歩ける!街並みをしっかり見ながらタクシーで駅に向かった。特急電車で外の風景を楽しんでいた。






食べ物の好き嫌いも、まだあるけれど、次男の事を【思って】作るようになった。そうしたら、心が満たされていったのか、もうお腹いっぱいって、爆食いしなくなった。(とは言っても食べ盛り)





小さい頃から関心が欲しかったのだろう。…皆そうだと思うけど。【質素で慎ましいけれど、こうしてママとご飯食べれて俺は幸せだ】と言う。ずっと母の私が自分を思ってくれる気持ちが欲しかったのだろう。





食わず嫌いも減っていった。『こんなに美味いの食べなかったなんて〜』っていつも感激している(笑)







今日、次男の受診日だった。




2週間に一回から、1ヶ月に一回になり、今は2ヶ月に一回のペース。



次回、受診してみて問題なかったら3ヶ月に一回になる。






ドクターも、栄養士さんも、不登校の次男を心配していた。いま、学校に毎日行っている事をとっても喜んで話を聞いてくれている。







色々あったけれど、皆に助けてもらってこうして生きている。生活している。久しぶりの診察でまた、ありがたい感謝の気持ちが溢れてくるのだった。








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