精神科の"血塗られた"歴史
精神科は、
どんな歴史をたどったのか、簡単に説明してみたいと思います。
古代ギリシャ時代
精神病は”狂気”とされていました。
患者は人として扱われず、おどされ、追いやられ、散々な目にあっていました。
しかし、ヒポクラテス(医学の父)が精神病は”脳の病気”であるとし、考え方は変わっていきます。
中世ヨーロッパ
しかし、精神科への理解は進みませんでした。
皆の不満が、全て”弱者”へ向けられ、精神障害者はその対象となりました。
障害者は救いを求め、コロニーを形成し、祈りを捧げることになります。
その後、病院が設立されるも、収容所と同義であり、まともな扱いは受けませんでした。
こうした、””血塗られた歴史””を経て現代の精神医学の基盤ができます。
近世ヨーロッパ
1793年、フランスのピネルにより精神障害者への人道的な関わりを大切にしようという動きが進みます。
その後、1900年代まで、さまざまな実態調査が行われ、精神科への考え方は再度改められることになります。
一方、日本は
戦後、ようやく精神医療が変わり始めます。
1950年に精神衛生法が作られ、病院ができます。
しかし、人権侵害は著しく、患者はひどい扱いを受けます。
その後、1995年に、現在の”精神保健福祉法”が制定され、整備が進んでいきます。
現在の精神障害者保健福祉手帳などもこれに由来します。
ただ、現場を経験した私の主観ですが、いまだ、”患者様の尊厳”は守られていないと思います。
あまりにも医師の立場が強すぎます。
ただ、これは難しいです。
なぜなら、半歩の過ちで職員の大半が死にいたるという、大惨事になりかねないからです。
厳重に取り締まるのは当然と言えるでしょう。
精神病患者はあらゆる治療を試されることになります。
瀉血(血を抜く)、ロボトミー(脳をいじる)、マラリア発熱法、インスリンショック療法など、色々試されました。
現代でも、電気けいれん療法は残っています。
その後、
1950年からようやく各所で"薬物治療”が始まります。
そう、
”収監から治療”となったのです。
中枢神経刺激薬、気分安定薬、抗精神病薬、抗不安薬、抗うつ薬と開発が進み、
「この薬が効いたということは…」みたいな感じで、精神病を”大脳生理学的”な視点で捉えられるようになっていきます。
しかし、未だ、ほとんどが仮説段階です。
”精神科はすごく不完全”です。
例えば、統合失調症は、昔、”精神病”と言われていました。
その後、精神分裂病と名前を変えます。しかし、差別的とされ統合失調症になりました。
だから抗”精神病”薬なのです。
抗”パニック障害”薬というような名前がないのも、比較的新しい概念だからです。
精神科は、医師の裁量権が絶大です。
なので、医師がその立場に甘んじれば、患者様は、なすすべがありません。
精神科医療がより良い方向にいかないか、希望を持ちたいところです。
という、今回はかなりセンシティブな話題に触れてみました。
参考になれば幸いです。
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