苦しい時は、こう生きよう




苦しい時こそ、人は、生きる姿勢を問われる。



 先日、私の、数ある記事の中で、

 「療養中の過ごし方」を最も評価したと述べたが、
 これは、決して記事の内容を評価した訳ではない。


それは、

 あの、苦しい状況であろうと、を向いて歩いていた、そこを評価したのだ。



 極論ではあるが、私は、あの日が、最後の日になったとしても、
 良かったと思っている、ただ誇り高く死を、迎えられただろう。


 当然だが、物事が上手くいっている時であれば、皆、気分も良い。
 
 美味しいものも、食べれるだろうし、お酒も嗜める。


 だが、私は、そう言った、調子の良い時ではなく、苦しい時を、どう生きるか、

 そこに人としての真価が問われる、そう考えている。


 それは、日々の生活でも、そうだろう、気分が良い日、悪い日、これは誰にでもある。


 気分が悪い日、調子が悪い日に、マイナスなことを言うのは、簡単だ。


 だが、私はそのような状況であろうと、ユーモアを言ったり、
 少しでもできることをしている人は、とても素敵だと思う。


 想像してみてほしい、余命宣告をされている人がいたとして、
 もしその人が、子供たちに、元気やエールを送っていたとしたら。


 その人は、きっと救われることだろう。


 人生とは、おそらく、私たちが想像しているよりも、短く儚い、

 なので、もっと1日、1日に感謝して、大切に生きるべきなのだ。


 もし、調子が悪い日、苦しい時が来たとしたら、こう考えてみてほしい。


 これは、人生の選択を迫られている、そして、この日が最後かもしれない、
 しかし、人として美しく死を迎えるべく、前を向いて歩こう。

と、 


 その姿は、必ず、誰かが見ている、見ていなくとも、自分を誇りに思えるだろう。


 そう言った意味があって、あの記事を、最優秀賞に選んだ。


以上です。


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