入るか入らないか
なんで朝がきてしまうの、、
ずっと静けさのある夜のままでいいのに
その方がちゃんと生きている気がする
目覚める時にそう感じることがある。
私は毎日ヘッドフォンを身につけている
そう、音楽を聴くために、自分の気持ちをコントロールするために。
朝の始まりの音楽は大事。
でもどの音楽もスーッと頭に身体に入ってこないことがある。大抵そういう日は何かモヤがある時。音楽の力を借りてなんとか紛らわそうとするが無理な時は無理。でも他のコントロール方法がないから、結局音楽に頼る。
例え推しの音楽だとしても入ってこない。
だが時々、音楽をシャッフルして聴くと自分が聴きたかった曲が流れてきてなんだか音楽と意思疎通したような気分になる。そういう時はいいスタートの日。コントロールもうまくいく。
音楽がその日の1日を決めるわけではないが、音楽の力は異常だ。
人を笑顔にしたり、涙を流せたり、人を虜にさせる。
この世から音楽又は音がなくなったら、大切なものを一つ失い、気持ちのコントロールが難しくなるだろう。
人の声も音の一つだが、私はずっとは聞いていられない。怒号や愚痴、自慢が口からこぼれ出るのを聞くのはもううんざりだ。
とはいいながら、私も知らないうちにそのような態度を取っているかもしれない。
この循環はなんなのだろう。このことはまた書けそうな時があったら書きたい。
話は戻るが、音楽というのは私たちにとって必要不可欠なものだ。一日の始まりに、一日の終わりに欠かせないもの。
決して失ってはいけないもの。
私はこれを書きながら最近ハマっているセカオワを聴いている。
一日の終わりのセカオワはなんか報われる。
スッーと入ってくる。身体全体に。
ぜひ聴いてみてほしい。
強く生きていこうというメッセージをくれる。
そして聴き終わった後には必ず思う。
今日も良い一日だった。と。