『ファンタスティックビーストとダンブルドアの秘密』
(アルバスじゃない方の)ダンブルドアの秘密、M中です。
粗筋
グリンデルバルドの次なる手は、政界の掌握。ドイツ魔法省を手中に収め、更には国際魔法使い連盟の首長たらんとする。
野望を挫こうにも、未来を見通す聖獣「キリン」が相手方に居るため迂闊に手も出せない。アルバス・ダンブルドアが選んだのは、「不意打ち」。はぐれ者を6人集め、対グリンデルバルドのチームを結成する…。
前作をカバー
旧ブログでは、前作を2点で論難しました。「何でこのマグル出るの?」「グリンデルバルドに魅力ない」。これに関して、今作は上手くカバー出来ていたように思います。
ジェイコブの活躍
前作の「要らない子」っぷりに比べ、今作ではジェイコブが居る必然性がある。「グリンデルバルドは未来視が出来るが、予測できない・突拍子もない行動なら裏をかける」と序盤に提示されるからだ。
バディもの/チームものでお荷物キャラが後から真価を発揮するのは良くある手だが、設定の上でも肯定するのは面白い。なるほど、マグルを「家畜」と呼ぶグリンデルバルドからすれば、マグルなぞ計算外でしょう。
ちと残念だったのは、ケイパー要素がなかったこと。
マグルなんだから、「マグルゆえの知識/マグルゆえの無警戒」展開が欲しい。なればこそジェイコブだからこの場を切り抜けられたんだ!って面白さになったのに。
グリンデルバルド描写
あれ、グリちゃん顔変わった?…冗談はさておき、今作でグリンデルバルドというキャラクターに厚みが増した。
一つには、クリーデンスの出生に絡めて、グリンデルバルドの過去が語られたこと。ネタバレは今更避けますが、何故アルバス・ダンブルドアとグリンデルバルドが互いに複雑な感情を抱いているのかが、(新シリーズでは)初めて明かされる。
振舞い方も、1・2とは違ったものになりました。部下を気遣う優しさがあり、支持者に対しても民衆目線の政治を語るカリスマ性がある。と同時に、冷酷さも併せ持つ。無表情で淡々と語るだけだったデップバルドと違い、ハンニバルドの声色・仕草には気品や色気が感じられます。
下り坂映画
じゃあ、面白いのか?と聞かれると…微妙。この映画、後半に行くにつれて盛り下がっていくんですよ。理由を2点挙げます。
敵陣営、ポンコツ揃い
グリちゃん、配下に恵まれない。列挙していくと
ドイツ魔法省の腐敗が露呈しテセウスが拉致されるところがピーク。後は(悪役目線では)良いところなしで、ニュート側が追い詰められるスリルがないんですよ。
「一度は闇堕ちしたキャラが、光復帰する」展開って、高感度の上げ下げが必須でしょう。
こうした見せ場があるからこそ「マジで悪側に付いたのか…」と落胆出来るし、それが芝居やトリックだったと後に明かされれば「でかした!」とテノヒラクルー出来る。今作、クイニーもユスフも、好感度一ミリも減らんのよ。だから後で合流されても、「あっそ、知ってた」で済んでしまう。
ラストバトルは「お辞儀をするのだ」
ラスト30分が正直だっせぇ…。ブータンで、魔法政界トップを決める会議がある。悪党がその秘策として持ち出すのがDV自演投票ってのがそもそも滑稽だし、絵面も大いに間抜け。キリンの仔(実は死体を動かしている)を候補者3人の手前に置き、誰の許に向かうかを選ばせる。
…コレあれだな、ハイハイ歩き出来るようになった赤ちゃんを「ママのところに来てー」「パパだよー」って呼んでる親の姿だわ!しかもこの下りが15分近く、何十人も棒立ちで続くから最高にシュールなんだよ!
事態の決着が、アクションでつかないから尻すぼみ感がある。ポピュリズムで成り上がった排外主義者なのだから、
「民主党の不正選挙だー!バイデンぶっ殺せー!」
と民衆がもうひと悶着起こさなくては。山の斜面という立地を活かし、坂道を激走して追撃を逃れながら次期リーダーを麓まで護衛仕切る…。そういうもうひと盛り上がりがあれば、理屈のうえでも実力のうえでも野望を打ち負かしたって達成感が残るのだが。
続編の予想
当初の予定が3部作構成だったおかげか、今作で一応の区切りは付きます。あと2作が「第二次大戦を背景にした、グリンデルバルドとの最終決戦」になるのは予定調和とはいえ、未回収の要素が気になります。
勝手な妄想なんですが、ファンタビは正史に繋がる終わり方を迎えると思います。何らかの形で、ジェイコブとクリーデンスが出会う。死期間近のクリーデンスは、近くに控える不死鳥から羽根を抜き取り杖の芯材とする。彼の死後、杖もナギニも行方知れずとなるが、どちらもおヴォっちゃん時代のトム・リドルの元へ流れ着く…。
杖の材質がイチイだったか定かではないですが、そうならこの仮説も信憑性が増す筈。5年以上先になるでしょうが、シリーズ完結が楽しみです。
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