創作批評① 涼宮ハルヒの憂鬱

総合評価7/10

ラノベといえばこれ。京都アニメーションによってアニメ化されたアニオタならだれもが知っている超有名作、涼宮ハルヒシリーズの第一作目である。

アニメは数年前に視聴したのだが、肝心の原作は未読だったため、批評を兼ねて読破した。まあ分かっちゃいたけど傑作よね。

以下、WIKIからの引用あらすじ

東中出身、涼宮ハルヒ。ただの人間には興味ありません。この中に宇宙人、未来人、異世界人、超能力者がいたら、あたしのところに来なさい。以上。

高校入学早々、この突飛な自己紹介をした涼宮ハルヒ美少女なのだが、その性格・言動は変人そのものであり、クラスの中で孤立していた。しかし、そんなハルヒに好奇心で話しかけた「ただの人間」である、キョンとだけは会話をするようになる。

ゴールデンウィークも過ぎたある日、校内に自分が楽しめる部活がないことを嘆いていたハルヒは、キョンの発言をきっかけに自分で新しい部活を作ることを思いつく。キョンを引き連れて文芸部部室を占領し、また、唯一の文芸部員であった長門有希を巻き込み、メイドマスコットとして上級生の朝比奈みくるを「任意同行」と称し拉致。さらに5月という中途半端な時期に転校してきたという理由で古泉一樹(ハルヒ曰く「謎の転校生」)を加入させ、「宇宙人や未来人や超能力者を探し出して一緒に遊ぶこと」を目的とした新クラブ「SOS団」を発足させる。

ところが団員として集まったキョン以外の3人は、それぞれ本物の宇宙人、未来人、超能力者であり、キョンはSOS団の結成と前後して、3人からそれぞれ正体を打ち明けられる。彼らが言うには、ありふれた日常に退屈し非日常を渇望しているハルヒこそ、彼らにとって解析不可能な超常現象を引き起こす原因となっている未知の存在なのだが、ハルヒ本人にはその自覚がないのだといい、彼らはそのことを彼女自身に悟られずに観察するため派遣されてきたのだという。当初は虚偽申告だと思っていたキョンも、間もなく実際に超常現象に巻き込まれて命の危険に晒されたことにより、彼らの言葉を信じざるを得なくなる。

そしてキョンとSOS団の団員たちは、非日常を待ち望んでいるハルヒ本人に事実を悟られないように注意しつつ、ハルヒ自身が無自覚な発生源となっている超常現象を秘密裏に解決したり、宇宙人や未来人や超能力者たちの勢力の思惑に振り回されたり、ハルヒが気紛れで引き起こしたり持ち込んだりする日常的なトラブルに付き合ったりする日々を過ごすことになる。


キョンの独特な視点から描かれる文章がまずとても読みやすくそれでいてユーモアが混じっているためすいすいとページをめくる手が止まらなくなる。
長門などに代表される綾波レイの系譜を持つ魅力的なキャラたちが、ごく一般的な感性の持ち主であるキョンを中心にして織りなす会話劇はただ見ているだけでとても面白い。

そしてこの物語の何よりの面白さは「セカイ系」と呼ばれる小さなコミュニティ内で生じる出来事が世界規模の話にまで拡大される、よくありがちなアニメ、ラノベ作品でありつつも、奇跡的なバランスで非日常と日常の境目が描かれていることにあるだろう。

メインヒロインである涼宮ハルヒというキャラは現実改変能力というトンデモな力を有しており、当の本人はその力の存在に気づいていない。
そして涼宮ハルヒというキャラはとんでもなく横暴な性格をした変わり者として一貫して描写されている。

つまりキョンたちが置かれた状況というのは、生後生まれて間もない赤子に核爆弾のスイッチを渡しているようなギリギリのラインでどうにか保たれている。ハルヒが望めばすぐさま世界は崩壊し、常識は無に帰す。そんな瀬戸際で何とか成立する世界の不安定さは、読者をワクワクさせてくれる危うさがある。

しかしそんな不安定な世界が崩壊しない理由は「ハルヒが実は真っ当な感性を持つ常識人」であるからであるという古泉の発言は的を得ていた。
ハルヒは突拍子の無いことをしでかす問題児だが、根っこの部分は真面目で常識人であり、であるからこそ世界がとても「退屈」で「面白みもない」ものだという真理に比較的早い段階で気づいてしまっている。

つまらない世界。退屈な毎日。アニメや漫画の世界で起こるようなドキドキワクワクするような現象が全く生じない日常の連鎖。
ただ受け身で待っているだけでは何も面白いことは起きない。
そんな当たり前の真理に気づいたからこそハルヒは「SOS団」を創出し超能力者や未来人などの「非日常」を求めようとしているのである。

この「ハルヒ」というキャラの造形は圧巻と言っていいだろう。
不安定でいつ壊れるか分からない。自分の気分で世界を崩壊させられるような大それた超次元的能力を手にしたキャラではあるが、根底の部分は常識的なので、世界改変は行われず何とか水面下で世界は均衡を保っている――そんな綱渡り的なギリギリの世界観で構成されたのが「涼宮ハルヒ」という作品群である。

ここまで書いてきて分かったがこの「涼宮ハルヒ」という作品は「ドラえもん」と構成が似ていると感じた。
ドラえもんの道具も世界を崩壊できるほどの超パワーを有す兵器だ。
しかしのび太はその道具を一巻して己の矮小な欲望のために用いる。
どれだけ素晴らしい道具だろうが用途の目的が「しずかちゃんに振り向いてほしい」だとか、「ジャイアンを懲らしめてやりたい」とか俗物の範囲を超えないので、結果としてそれほど大きなことは生じない。

この日常の中に非日常を混ぜ込む手法を用いられた作品はどれも共通して面白いと感じてしまう。ハルヒもドラえもんもSF(少し 不思議)であるのだ。決して日常の連鎖から話が逸脱することはない。
僕らが日々当たり前のように暮らす平凡な毎日の中にスパイスのように紛れ込ませた非日常。それが僕らをとてつもなく魅了する。

話がそれたが、「涼宮ハルヒの憂鬱」は最後、とうとう現実に愛想をつかしてしまったハルヒが世界の再構築を図ろうとするところでクライマックスを迎える。
異空間に紛れ込んだのは「ハルヒ」と「キョン」のみであり。
ハルヒは退屈な日常に飽き飽きし、ついに自らが求めていた「非日常」で満たされた特別な世界を創造しようとする。

この「非日常」を作り出すという行為そのものが、ラノベ読者には刺さる行為であろう。何故ならラノベを見る人間が求めているものこそ「非日常」であるからだ。このハルヒの行動や思想は、一巻してラノベ読者が共感できるものとなっている。

読者は物語を見る時、非日常を期待する。
スタイルの良い美少女や学校のスターが地味で根暗な自分みたいな人間を一途に好いてくれる話。
突然超能力に目覚めた少年が、能力を用いて奮闘する話。
異世界に転生して、チートスキルを手にし、人生をやり直す話。

どれもこれも現実では起こらない妄想だ。
現実は酷く混沌無形で、残酷で、退屈で、淡泊である。
だからこそ僕らはファンタジーを求める。
非日常を求め創作物を嗜むのではなかろうか?

ハルヒも全く同じ考えだった。
そして僕らとは異なり、そのような「非日常」を作り出す能力を有すハルヒは実際に面白い世界を作り出そうと世界を再構築する。

しかしキョンはそれを否定する。
そしてあろうことか、キョンはハルヒに「ポニーテールの髪型が可愛かった」と告げ、そのままキスをしてしまう。

壊れゆく世界の中、キョンが目を覚ますと、いつもの日常に回帰しており。
セカイの再構築を拒んだハルヒは、翌日、ずさんなポニーテールの髪型で登校しているところが、とても可愛い。
そんなハルヒを見つめキョンは
「髪型似合っている」と感想を伝えた所で物語が終了するエモさ。

虚構を信じず、一巻して現実を冷めた目で見続けるキョン。
常識的である故に、面白いことを追い求め翻弄するハルヒ。
そして彼らを囲む魅力的なサブキャラクターの数々。
個性的なキャラが織りなす会話劇。
日常が一転して非日常に変わる不安定さ。
主人公であるキョンの魅力的な語り口で紡がれる物語。

いやーこれは2010年代に人気が出たのも納得のクオリティですね。
ヲタクが好みそうな設定やキャラを詰め込みつつも、ラノベ読者が潜在的に抱えているであろう心情をハルヒというキャラを通して的確に描写している。
これは売れるのも納得の作品ですわ。

語彙力が無くてあんまり言いたいことが表現できずすいません。
取り合えず総合評価7点ってことで。






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