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【DESTINATION】プロローグ6  邪心


エルシドが世界から忽然こつぜんと姿を消したころ、人類はある大きな問題に直面していた。

かしこくなったがゆえ、発展したがために、余計なものまで背負い込んでしまう。

それは「怒り」「憎しみ」「うらみ」「嫉妬しっと」「悲しみ」「苦しみ」「絶望」「破壊衝動」「攻撃性」などの負の感情。

不安や恐れから物事を消極的に考え、本来ほんらいもっている力を発揮できなくなり、結果がともなわなくなる負の連鎖。

同じあやまちの連続、自分の失敗で周囲に多大な迷惑や悪影響を与えたと、自己嫌悪におちいる者が続出しだした。

明日は無事に食料を確保できるのか、明後日は、1ヶ月後は、1年後、10年後はと不安を抱き、毒をもつ爬虫類はちゅうるいや虫に襲われ、死んでゆく者を見ては、明日はわが身だと恐怖する。

治療手段のない伝染病の蔓延まんえん飢饉ききん、干ばつが起こると、姿形すがたかたちのない悪魔の仕業しわざだとおびえ「雷」「台風」「竜巻」「地震」「津波」「洪水」「山火事」を見るたび、神からの天罰がくだったと震える日々。

さらに、記憶力の向上にともない過去を思い返し、自らの行動を悔やんで自害する者、他者と比較し、自分が劣っていると落胆して発狂する者、自分の思い描く状況にならないのは、他人のせいだと怒り狂う者も現れた。

さまざまな不安要素を解消すべく、人類がとった行動。それは人を襲い奪うこと。

他人のもつ広い土地、豊かな自然、危険生物の少ない安全な場所。それらをうらやんでは略奪をはかる。

先住民が侵入者に暴力を振るわれる事例も珍しくはなくなった。

「息子が見下された」「妻に色目をつかった」「許可なく勝手に食糧を持っていった」そんな他愛のない揉め事が、最終的に相手を壊滅させる部族間の戦争にまで発展。

調停機構ちょうていきこうや法律、懲罰ちょうばつが存在しないこの時代、弓矢と槍をつかった攻撃で集落が襲われ、4~5人の死者が出るのは日常茶飯事にちじょうさはんじ。それに対する復讐も当然のように起こる。

こうした歯止めの効かない、集団による復讐や暴力行為が絶え間なく起きるが、人類はその行動の善し悪しを理解しようとも、考えようともせず、ただ本能のおもむくがままに人を傷つける。

他人のたび重なる身勝手な行動に怨みをつのらせ「過去を許せないから」という理由で徒党を組み、ひとりの人間を複数人で八つ裂きにする「目には目を」の報復合戦も多発。

現在確認されている「人類最古の戦争跡」は、砂漠の国「エリプト」にある、カディシュ遺跡北部で発見された、約1万5000年前のものと思われる、おびただしい数の人骨。

これは、矢やこん棒、石製の剣などの武器をたずさえた一群の襲撃を受け、集団虐殺された人々の化石とみられている。

ある男性の骨の化石は、黒曜石でできた鋭い刃物が頭蓋骨に突き刺さっており、また別の男性には、こん棒で頭を2度殴られたような傷跡があり、頭蓋骨が陥没していた。

ある妊娠後期の女性は、手足を縛られたような格好で発見。

そのほか、殺傷能力の高い大型の石鏃いしじりや金属製武器で、致命傷を与えられたと推測される人骨も多数出土。

戦闘の証拠となる例が複数あがっており、狩猟採集しゅりょうさいしゅう社会でも戦争があったことに疑いの余地はない。

戦争の原因は「余剰生産物よじょうせいさんぶつがもたらす、富の偏在へんざいと分配」

これが従来の戦争史観。

※余剰生産物
余った生産物のこと。米などの保存がきく穀物。狩猟採集生活ではできなかった、食糧の備蓄が農耕によって可能になり、余剰生産物が生み出された。

※偏在
特定の場所や人に集中して物がある状態。

しかし、穀物の生産や家畜の飼育も始まっていない時代に、戦争の可能性が示された事実は、この考えを大きくくつがえした。

戦争は人類の歴史上、絶えず存在するもの。失敗から得た教訓はかされず、幾度いくどとなく同じあやまちが繰り返されてきた。

世界各地で起こる凄惨せいさんな争いは、今もなお終わりを見せない。

全人類が信じ合い、違いを認め尊重し合い、過去を許し合い、尊敬し合い、愛し合えば争いは起こらないはずだが、愚かにも人類はそんな単純で当たり前のことができない。

「争いはいけない」親から子、子から孫へと受け継がれてきたはずの意思は、まったくと言ってもいいほど伝わっていかず、教えた当の本人が人を見下し、いじめ、傷つける。

「憎しみを抑え、過去のあやまちは、あやまちと理解したうえで許し合えばよい」

言葉にするのは簡単だが、発達した頭脳とさまざまな感情をもつ人類にとって、それを実行に移すのは容易ではない。

人間を含むあらゆる動物は、思い出したくない過去、失敗した経験を思い出すようにできている。

日頃から不安や恐怖を感じとっているのは、敵の力を見誤っての負傷、逃げ損ねたりといった失敗から、未然に身を守るための動物の本能。

また、人間は動物である以上「戦うからには勝ちたい」「天下を取りたい」「好きな人を独占したい」「すべてを独り占めにしたい」このような征服欲をもっている。だが、同時に理性ももっている。

本能だけに支配され、他人を憎み争うのではなく、理性によって邪心を抑え込み、共存の道を選べるはずだが、それもできずにいる。

「自分に不利益を与えた者は罰を受けるべき。同じ痛みを味わって当然」といった考え「負けを認めたくない、負けたままで終わりたくない」という本能に、人間はあらがえない。

それは、人類が「本能を完全に抑え込む仕組みを、いまだにもち合わせていない」のが現状で、進化の途中にあるからなのかもしれない。

約250年前の人間と現在の人間とでは「あらゆる箇所の骨の大きさ」「細かい血管の位置」「なかったはずのところに血管ができている」といった違いが見られる。

これを変化ではなく、進化ととらえるならば、人類は状況や生活環境に応じて、進化しつづけていることになる。

「一定の状態で永久に不変」生物や形あるものにとって、それはありえない。


【DESTINATION】プロローグ6 邪心 END


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