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B’zのアルバム「ACTION」に救われた子供の話


こんにちは、あんこです。

以前投稿した「B’z初心者がペインキラーにどっぷりハマった話」という記事で、
チラッと思春期のころに光芒を聴いてB’zにハマったと書きました。

(↑の記事です。もしペインキラーを聴いてない方がいらっしゃったら、こんな記事読む前に聴いてください。頼む)


今回はその話について書きたいと思います。
何を隠そう、今現在こうしてnoteに趣味を綴っているのは光芒のおかげなんですね。
これは絶対残しとかなあかん!ということで。
長い自語りにはなりますが、宜しければお付き合いください。


B’zと出会ったのは


自分の力でB’zを見つけた…
ドラマ・アニメの主題歌でB’zを知った…
店などで流れていて知った…

知るきっかけとしてはいろいろあると思いますが、私はそのどれでもなく、単に
母がB’zファンだった」からでした。

何を隠そう、母は私を産む前からB’zを追っている長年のファン。
そりゃもうこの世に産まれてから聴きっぱなしです。
昔の車にはBluetoothはおろか、録音機能すら無かったものですから、読み込ませたCDの曲がエンドレスで流れるのが普通だったのです。
(というか本当に小さかった頃はCDですらなくカセットテープだったような…?)

なので、私は物心ついたころには既に「B’zのメジャー曲は知ってるよ〜」ぐらいの域でした。
恋心も踊ってました。

しかし歌は知っているとはいえ子供も子供。
「なんとなくノリがいいからまぁ好き!」ぐらいの認識でした。


転機


時は流れ10年。
私は小学5年生。
この頃私は、立派に思春期を拗らせていました。

生と死を考えるようになり、勉強の意味を考えるようになり、人生を考えるようになり。

子供なりにいろいろ考えた結果、辿り着いたのは
どの分野においても上位互換がいるのに私が産まれて生きる理由はなんなんだ?
という疑問でした。

いい成績を取ろうが、自分より頭のいい人はいっぱいいる。
愛されようが、誰かにとっての1番になることはできない。
趣味を追求しても、それが役立つ日がくるのかは博打だし、しかもここでも結局1番を取れないのだから意味が無い。

今考えれば、「子供が何をわかったような口を」と笑われるような悩みだったとも思います。
しかし、当時の私にとっては人生を揺るがすほどの大きな悩みで。

どの分野においても自分より優れた人間がいるなら、私がいる意味は無い。生きるのやめよう
と思ってました。

いやはや、子供というのは単純というか、無鉄砲というか、無知ゆえに怖いもの知らずというか、考え無しのようで考えていて、でも行き着く先は結局勢いの果てというか…
今思うとゾッとしますね。

とはいえ、やはり子供は子供。
特に当方アホの子だったものですから、その「生きるのをやめる」方法がよく分からず。
悶々とした日々を送っていました。

そんなある日、母の車ではいつものようにB’zの曲が流れていました。
そして車の中で買い物中の母を待っている間、ふと思ったんです。

歌ってみたいな

そして初めて、B’zの歌詞カードを広げてみたのです。


光芒


歌詞カードを開いた時、たまたま流れていたのが光芒でした。

実は歌詞を知る前の私は、光芒を
「なんか暗くて長くてノリも良くないしそんなに好きじゃないな…」
と思っており、いつも飛ばしていました。
今となってはぶん殴りたい。

しかしその時だけは、何故だか飛ばさず、歌詞を最初から読んだんです。

じっくりと歌詞と向き合った初めての時間。
意味を理解しようと、歌詞を言葉として読み込んだ時間。

まぁ正直なところ、難しくて意味が分からないところもちょくちょくありました。
でも最後の最後、ここに辿り着いたんです。

半歩でも進めるなら
景色は少しずつ変わっていく
光を求め歩き続ける君の情熱がいつの日か
誰かにとっての光となるでしょう
誰かにとっての兆しとなるでしょう



…いやもう本当にあまりにも刺さる歌詞で。
誇張ではなく、私はここの歌詞で本当の本当に救われました。


自分が1番になれるものはないのかもしれない。
でもそれで私の存在理由がなくなるわけではない。頑張らない理由にはならない。
頑張っても1番にはなれないかもしれないけど、
もしいつか、私の頑張りが少しでも何か
・誰かの役に立てたとしたら、
それでもう十分なんじゃないか


と物凄く心が軽くなったんです。

視界がパーッと拓けて、道が見えたような感覚すらしました。
私にとって光芒は、暗闇の中で蹲っていた私に一筋の光を示してくれた、その言葉通りの光芒だったんです。


「ACTION」と出会う


光芒の歌詞を見て、「なんて言葉を紡ぐ人なんだ」と衝撃を受けました。

この人の言葉なら、私のこのもやもやを晴らしてくれるかもしれない。
そう感じて、歌詞カードを開きながら、最初から順に聴いていきました。
人生の先輩のアドバイスを聴くように。

黒い青春の「明るいばかりが若さじゃないんだ 光と影は支え合う」で、
無理矢理明るく、子供らしく振る舞わなくていいんだと自分を肯定できるようになり。

パーフェクトライフの「完璧に見える人もみな見えないところで青筋立てて苦しんでる」で、
見かけで判断するのではなく、自分より優れた人の内面を素直に尊敬できるようになり。

一心不乱の「一心不乱にその腕を磨け 何の役にも立たなくてもいい」で、
将来に繋がりそうもない自分の好きな物を自信を持って愛せるようになり。

なんという幸せで、
自分もこんなふうに愛されているのかもと思えるようになり…


全曲について書いてたらキリがないので省きますが、ACTIONのアルバムを通じて、

闇に覆われそうになる事もあるけど、必ず光はある。
だから貴方は貴方のまま動き続けよう。
それでも苦しい時もあるだろう。
そんな時はここに帰っておいで。
一緒に苦しんで、また共に動き出そう


って言って貰えたような気がして、凄く嬉しかったことを覚えてます。
(勿論、歌詞やアルバムの解釈は人それぞれです。
これらはあくまで、当時思い悩んでいた思春期の私が感じ取ったことです。)

なんというか、子供だった私は、ACTIONを聴いて「信頼出来る大人に出逢えた!」と思えたんですよね。

今までは、信用していなかった大人というもの。
こんな人達がいるなら、一概に大人を否定するのではなく、少しは信じてみてもいいのかもと思えるようになりました。

動いても大丈夫。
失敗しても大丈夫。
大人を信じても大丈夫。
生きていても大丈夫。

一通りACTIONを聴き終わってからは、そう思う事ができるようになり、凄く生きやすくなりました。

時々、もっと早く生まれてB’zをリアルタイムで追っていたかったな〜と夢見るのですが、
ACTIONだけは思春期の頃に聴くことが出来て本当に良かったなと思います。
逆を言えば、子供の頃にB’zの感想を持てるのは遅く生まれたものの特権なので…誇らしくすらあり。


そんなこんなを経て、今もいろいろ四苦八苦はしてますが何とか生きてます。

そして今まさに、光芒の
光を求め歩き続ける君の情熱がいつの日か
誰かにとっての光となるでしょう
誰かにとっての兆しとなるでしょう

を糧に記事を書いて、情熱を残しているという訳ですね。

へへっ!照


総括


今回はあくまで「B’zと出会った頃(思春期の頃)の私の所感」を書かせていただきました。
が、B’zの曲って、大人になってから聴くとまた違った魅力が見えてきますよね…

ACTIONの中だと、私の中では「満月よ照らせ」がその筆頭です。
恥を忍んで言うと、当時の私は全く意味が分からなかったんですよ…
大人になって改めて聴いて「なんちゅー歌作るんや…」と思いました。

あと当時は「RUN」「LOOSE」「SURVIVE」あたりのアルバムの良さも全然分かってませんでしたね。
今私は、当時RUNを作詞された稲葉さんとざっくり同じくらいの歳なんですが、
この歳でこの歌詞書けるのヤバない???
と戦慄しきりです。
どんだけ聡明で、どんだけ物事を多角的に考えてるのこの人…

そして言わずもがな、この歌詞を引き出す曲を作ってしまう松本さんも凄すぎるでしょ。
凄すぎて凄いという言葉しか出てこない…なんなん…悔しい…

B’zのおかげで生き延びて、
B’zに熱をもらえてるおかげで今もなんとか生きられてます。
本当に感謝しかないです。

もう早くライブ浴びたいです。
つい先日Pleasure参戦したばっかなのに。
ロスが酷いです。思い出しては寂しくて泣いてます。

頼む!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
早く円盤出してくれ〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
欲を言えばアリーナとスタジアムどっちも収録してくれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!



あんこでした。


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