【お笑い⑧】ランジャタイ国崎の落語がすごかった
この記事を読んで、ランジャタイ国崎さんの落語『パカラ』を見た。
詳細はユニーさんの上の記事をお読みください。
私はただただ感情論を書きますゆえ。
あーそうだった。
国崎さん。
バラエティ番組とかで見るとつい誤認してしまうところもあったが、天才だったんだった。
忘れてたわ。
ランジャタイの漫才。
M-1決勝の猫が耳から入るネタとか、サザエさんのネタとか。東京タワーの真実とか。
確かに落語っぽいわ。
ランジャタイは基本意味不明だと思っていたが、たまに長尺のネタがものすごくハッキリと心の中に入ってきて、動かされることがある。
文章も、結構ふざけているけど、たまにものすごいエネルギーの突き動かす文章を上げる。
なのに、私は愚かな人間なので、その感動をついに忘れ、ふざけ回る部分ばかり目にしては、ランジャタイの何が好きだったのかを忘れてしまう。
その節は大変失礼しました。
やっと思い出しました。
あるいは本当に、国崎さんて馬の生まれ変わりなのかと、そう思いましたよ。
そうでなければ、どうして、あのような感情を込めて40分間演じられましょうか。
人間と取り違えて育てられた馬が、落語家に育てられた人生(馬生?)の話。
話があまりにもよくできている。
40分の長尺ネタなので、最後まで見るかどうか半信半疑で見たが、気付けば終わっていた。
途中で全く飽きなかった。もはや、ドキュメンタリーを見てるのかな?と思った。
話し方も演じ方も間も、全部惹きつけて離さなかった。
馬の話なのだが、地元は国崎さん本人と同じということになっている。
完全なフィクションなのだが、既視感がある。
まるで作り話なのだけれど、人間が何かしらは持っている生きづらさとか、大事にしているものとか、人との関わりの中で生まれる愛情とかが詰まっていて、普遍性を兼ね備えている。
フィクションだが、もしかしたら、何かしらの実体験とか、そういうものに準えているのかもしれないと思う。
オチも何とまあ鮮やか。
ランジャタイがふざけ回って回避してきたオチは
、まさかここに全て取っておいたのか。
天からの授かりもの。そういうことか。
何故落語家にならなかったのだろう。
というか、なんで落語が作れたのだ、演じられたのだ。
冒頭の引用記事に、これを見た立川志らく師匠の感想も最後についてある。
志らく師匠が自分の独演会にランジャタイを呼んで、その後にこの落語が公開されたようだ。
志らく師匠曰く、自惚れでなく、自分が影響を与えたのだと思う、とコメントしている。
そうなんじゃないかな。そんな気がする。見ていても。
次は是非、ランジャタイの単独ライブに志らく師匠を招いて、志らく師匠がすなる、プロが演じるパカラの演目を見てみたい。
見れてよかった。久々にそんな作品に出会えた。
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