ソレはきっとするものじゃなくて、勝手にしちゃうものかもしれない
土曜日のお昼過ぎ
いつものように息子とスマブラしていた僕は家族に向かってふとこんな質問をしてみた。
「お父さんを一言で紹介するなら、どんな人かな?」
すると妻と息子がほぼ同じタイミング、しかも食い気味で
「面白くないギャグを言う人」
と答えたのだった。
さらに息子に至っては、「お母さんと僕はこんなに面白いのに、どうしてお父さんだけこんなにつまんないんだろうね。」
と情け容赦のないダメ出しまでする始末。
まあ、誠に遺憾ながら、その意見には全く異論を挟む余地はないけれど、さすがにそれを最初のあいさつで誰かに言われるのは困るから、諦めずに「他にないの?」と喰らいついたけど、結局、むにゃむにゃとお茶を濁されてしまった。
そんなやり取りの後、僕らぐうたらファミリーは、窓から差し込む春の日差しでちょうどいい塩梅のあたたかさになったリビングがとにかく気持ちよくて気づいたら3人ともぐーすかイビキをかいていた。
そして、リビングに西陽が差し込む頃に目覚めた僕らは、今度は家族3人で桃鉄を始めたのだった。
ゲーム→昼寝→ゲーム
って本当にぐうたらだなあ(笑)
そんな中、妻が突然、急に思い出したみたいにこんなことを言い出した。
「お父さんはどんな人かというさっきの質問の回答だけど、説明が上手な人、って言うのはあるかな。」
さっきから一転して、まさかのポジティブな発言に僕は思わず、コントローラーの操作を誤ってゴールとは真逆の方向に電車を進めてしまうというミスを犯してしまったほどだったけど、本当のサプライズは実はこのあとに待っていた。
というのも、なんと妻はその発言に続いて、こんなことを言ってくれたのだった。
「お父さんって割とやさしいよね。というか結構、寛容。ときどき(大島)渚になるのがたまに傷だけどね。」
や、やさしい? この僕が?
あまりに想定外の一言に、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていたら、今度は息子が
「うん、確かに。特に自分の子供にはいちばんやさしいよね。」
と合いの手を打ってくれたのだった。
まあ、喜んでいたのも束の間、その後、片付けられない、いつも外したメガネを見つけられない、なんかうす汚い、顔がチャーシューみたい、とかさんざんなことも言われたけどね(苦笑)
けど、結婚14年目にして、家族からこんな風にきちんと面と向かって、やさしい、と言われたのはこれがおそらく初めてのことだったから、なんかおなかの奥の方からあったかくなるくらいうれしかったなあ。
なにしろ僕もまた人並みに、どうでもいい人たちに対してはやさしい振りくらいはできるけど、いちばん大切で愛している家族に対しては、ちゃんとやさしくできている自信なんて全くなかったからだ。
だって、僕は家族の前では、ただただ飾らずにありのままのグータラな自分で過ごしてきたに過ぎないからね。
ただ、最近は、家族とはいえ、みんな価値観や大切にしているものが違うのだから、なるべく自分の意見を一方的に押し付けずに、ひとりの人間として礼節をもって接しようとは心がけてはいるけど、それだってちゃんとできているかははなはだ怪しい。
けど、ここで不意にこんな仮説が僕の頭に浮かんできた。
それは
人にやさしく
というのは、
実は意識的にするものではなくて、
どうしようもなく
してしまう
ものなのではないか、という仮説だ。
というか、もしそうだとしたら、自分には全く自覚がないのに、家族からやさしいと言われた先ほどの話も腑に落ちるし、何よりそれだったら
とても楽だし(笑)、いいよなあ。
と思ってしまったのだった。
そんな僕がもし僕ら家族がどんな家族なのかと他人に尋ねられたら、迷うことなくこう答えるだろう。
「とてもつまらないギャグばかり言うお父さんのことを眉をひそめながらもいつも許してくれる、そんなやさしさにあふれた家族ですよ。」
ってね。
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