おすすめや賞に選ばれない人のほうが実は面白いのでは?という仮説
まあ、冷静に考えて言うと、
ケースバイケース
それこそ人による
という結論になるのだろうけど。
でも、個人的に心を揺さぶられるのは、正直、おすすめや賞から見過ごされた人の記事が多かったりする。
そして、なぜそうなのかを自分なりに考察したところ、おすすめとか賞に選ばれない人の方が、圧倒的に
ヤベえやつ
が多いから、という結論に達した。
でも、それは考えてみたら当たり前の話で、自分たちのイメージダウンに繋がるわけだから、noteや賞の主催企業は、ヤバいやつの記事は、それがどれだけ面白くても、選ぶわけにはいかないのである。
たとえば、割と真面目で学術的な記事で突然、スカトロ議長というパワーワードをぶっ込んだり、最後を、芦田愛菜だお、で〆るような輩はそれこそ危なっかしくて、意地でも選ばないに決まっているのである。
そう、おすすめや賞には、
いわゆる
善人フィルター
というものが存在する。
それは新卒就職で
学歴フィルターがあるのと同じくらい確実に。
だから、そのフィルターにはじかれた人たちは、いわば
Fラン大学
ならぬ
Fラン人間
ということになるのだろう。
ちなみにFランのFは、Free=自由という意味である。
確かに賞を受賞したばかりに善人キャラを演じ続けたり、自己紹介欄に自らの受賞歴を列挙している類の人たちに比べると、僕らはまだ自由なのかもしれない。
つまり、自由だからヤベえし、ヤベエから自由なのだ。
少なくとも僕は、自分も他の人も、人間は基本的に善人どころか、むしろ
どうしようもないロクデナシだ
そして、だからこそ美しいし尊い
と思っているリアリストだから、善良な市民しか登場しないような三文芝居には端から本気にはなれない性質ではある。
そんな僕にとって善人フィルターを通過した記事はそれがたとえどんなに抱腹絶倒でも涙ちょちょぎれの感動ストーリーだったとしても、それらは所詮、良質なエンターテインメント(暇つぶし)に過ぎず、決して
アート(自分の魂を激しく揺さぶり、生きる勇気を与えてくれるもの)
にはなりえないのだ
といっそのこと言い切ってみる(笑)
負け犬の遠吠えだと言いたい人はどうかどんどん言ってください。
ちなみに、僕はこの記事をある人に向けても書いている(その人が目にするかどうかは割とどちらでもいいのだけど)
今、活躍の舞台を別のSNSに移し始めているその人はフォロワーが2000を超え、1記事あたりのスキも200を超える超人気noterである。
にもかかわらず、彼の記事は過去3年で一度もnoteのおすすめに選ばれたことがない。
先日、その事実についてやややるせなさを滲ませる発言を彼がしているのを聞いて、確かにそう思うのは仕方ないよな、と思いながらも、でも、彼には、余計なお世話を承知の上で、こう言いたい気持ちでいっぱいである。
今まで一度もnoteのおすすめに選ばれなかったのは、それは
あなたの作品が間違いなく、
アート
であるという証明なのだから、むしろ名誉の勲章だと誇りに思って欲しい。
少なくとも僕は、あなたの作品、そして、そこから匂い立つような生き様に何度も心を揺さぶられたし、励まされたのだから。そして、あなたも知っているとおり、そーゆー人は、他にもたくさんいるんだよね。
う〜ん、しかし、noteに限らず、いい人ぶりっ子しないと生きづらいこの今の世の中の独特の閉塞感はいったい何だろう?
今、自分ができることは、ひとまずそーゆー世界から一定の距離を置くこと、あとは彼らから選ばれなかったからといって、いちいち心をざわつかせないことくらいかもしれない。
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