何者でもなくパーペキでもないボクらの幸せな日々
喉が乾いたのでキッチンでコップに水を注いで飲もうとしていた僕の耳に、リビングでくつろいでいた妻と息子のこんな会話が飛び込んできた。
「あんた、そこの"お父さんしばき棒"、邪魔だから片付けといて!」
「ああ、ごめんごめん、今すぐ片付けるわ…。」
まあ、息子はいったい誰に似たのか(←)片付けが苦手な人間だから、この手のやり取りは我が家ではわりと日常的に見られるものではあったのだけど、にも関わらず、きっとこのときの僕の耳はあのディズニー映画のダンボ並みに大きくなっていたと思う。
それは完全に僕にとっては初耳な
お父さんしばき棒
なるフレーズのせいである。
実際、さりげなくリビングの方に目をやると、ソファの上に白木の細い円柱型をした棒らしきものが転がっていた。
きっとこれが、あの
お父さんしばき棒
なのだろう。
僕はいったいどーゆーことなのか2人に問い詰めたい衝動を必死に抑えて、コップに注いだ水をグッと飲み干してから、まるで何も聞こえなかったような顔をしてリビングに戻った。
「いつかあの棒でしばかれないように、色々と(脱いだ靴下をちゃんと片付けるとか)ちゃんとしないとな!」
とそっと心の中で固く誓いながら。
ちなみに実はこのとき、僕はあることがきっかけで、ちょっとユーウツな気分になっていた。
その僕のユーウツの種は、ついさっきnoteの「今日のあなたに」に出て来た記事をつい魔がさして読んでしまったせいだった(しかし、このいわゆるおすすめ記事の打率の低さは往年の広島のランスを彷彿させるものがあるなあ)
その記事の中で書き手の女性は今まで出会ってきたハイスペ(ハイスペック)な男性たちが本当にただ優秀なだけじゃなくて人格的にも大変優れて(安定して)いて、そんな人達と過ごす日々はとても幸せだと語っていた。
もちろん彼女に悪気が一切ないのは分かるのだけど、それでも、この記事を読んだ僕は勝手に、ハイスペでも人格者でもない、ましてや感情は安定どころかまるでジェットコースターみたいに激しく乱高下する自分のことをまるで責められているような気持ちになってしまったのだ。
けど、気づいたら、そんなユーウツモードから一転、
「大丈夫、もう何も落ち込む必要なんかない。」
と力強くうなづいている自分がいた。
それはきっと、つい今しがた、まさに
幸せの形とは人それぞれであり、他人と比較するような類のものじゃない
ということを身に染みて体験出来たからに他ならない。
うん、確かにあの瞬間、僕は
自宅にお父さんしばき棒がある
そんななかなか他人には理解されづらい
幸せのかたち
があることを
しみじみと噛み締めていたのだから。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?