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こんな日もある。それでいいのだ
6/8 土曜日の午後
病院に行くためにひとり家を出たとたん、真夏みたいな日差しのせいで、思わず目を細める。
そして、そのせいなのか、寝不足のせいか分からないけど、ほとんど目を塞いだ状態のままいつものほぼ直線だけの駅までの道のりを記憶だけを頼りにスイスイ歩く。
「今日は、極力、何も目にしたくない」
長い人生だ。
そんな気分になる日だってあるだろう。
電車に乗って乗り換え駅のホームのベンチで小休止。
ここでようやくナマコみたいなまなこを眼圧を感じるくらいの大きさまで見開いてスマホでこの記事を書き始める。
強い日差しは足元にある灰色の格子柄の床に鮮明な人影を映し出し、その影の中で左手の親指のあたりだけがせわしなく形を変えている。
カタカタという音と一緒に背中に鈍い振動を感じたら、お待ちかねの電車の到着だ。
両開きのドアが開くと、Tシャツや短パン姿のサマールックな人々がどっと飛び出してきた。
僕はドアの右横で彼らの列がなくなるのを待って、車内に入る。みなこの暑さで外出を控えたのか、難なく座席に座ることができた。
天井からの人工のクールウィンドが、ずっと熱を帯びてうっとうしかった全身を急速冷却し、特に首の後ろが気持ちよくなって、ここでようやく
「何か見てやっても大丈夫だ」
と思えた僕は、顔を上げて、目の前の座席に目を向けた。
そこには年齢も背格好もよく似た大学生風の若い男性が横並びにお行儀よく5人座っていた。
「この人たちが五つ子ちゃんだったら、きっと今日一日ハッピーになるだろうな」
などと妄想した。
続いて僕の左隣に座るおばあさんに目をやると、彼女はクロスワードパズルをやっていた。
思わずナンプレが好きで老人ホームでそればかりやってた死んだおばあちゃんのことを思い出す。
そして、少しくたびれてしまった僕は心の中のパトラッシュに断りを入れた後、ほんの少しばかり仮眠することにした。
気づいたら、もう一個の乗り換えもちゃんと済ませて、病院の最寄駅に予約時間よりもずいぶん前に着いていた。
大きなターミナル駅を抜けると、またあの灼熱の太陽がまるで全てを焼き尽くすかのような勢いで容赦なく斜め45度くらいの角度で僕の面顔めがけて降り注いできた。
自然をこよなく愛し、行きすぎた科学文明には断固異を唱える、歩くSDGsみたいな僕だけど、このときばかりは、さすがに
「か、勘弁してつかーさいよ!」
と情けない声でお天道様に懇願していた。
しかし、それにしても診察までの空いた時間をどう過ごそうか。
いつもなら、間違いなく、行きつけの古書店に行って、サブカル好きの年下の店主とサブカル社会論みたいな話に花を咲かせるところだけど、今日はなんとなく気分が乗らないからやめておこう。
結局、早めに病院に行くことに決めた僕は、駅前のロータリーを抜けて目的地のメンタルクリニックを目指した。
このとき、不意に自転車に乗る中学生くらいの男子3名の姿が目に入った。
そのうちの一人はこんなに暑い日なのに、青いパーカー姿でその胸にはスーパーマンのあのSマークのロゴがあしらわれていた。
そして、他の二人はシャフトにローマ字のロゴが入ったカッコいいクロスバイクに乗っていたけど、彼だけひとりママチャリだった。
しかも、どこかガタがきているみたいでペダルを漕ぐたびにカチャカチャ音が鳴っていた。
「ああ、そういうことかあ」
と僕も同じような少年だったから、なんとなく彼の身の上が分かったような気がした。
ちなみに、僕の中学時代の愛車はシルバーのクロスバイクで、それは親に何とかねだって、日本信販というテレフォンショッピングで一万円で買ってもらったものだった。
もちろん僕はとても気に入ってたけど、同級生からはブランドマークも何も入ってないその自転車を
「なに、このバッタモン」
ってバカにされたこともあったなあ。
それにしても、家が貧乏なのは決して自分のせいじゃないのに、あのときの僕はなんであんなに恥ずかしくって仕方なかったのだろう。
前の二人に追いつこうと必死に立ち漕ぎしてどんどん遠くなる青いパーカーの彼の背中をずっと見ていたら、そんな余計なことまで思い出して、なんだか無性に切なくなってしまった。
やはり、今日は何も見ないほうが良かった一日だったのかもしれない。
けど、なにしろ長い人生だ。
こんな日があってもいい。
うん、それでいいのだ。
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