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盗んでないバイクで走ってた

当時の僕の相棒は、

喜び(JOY)

という名の

バイク(スクーター)だった。

今、思うと、生活の足という意味だけじゃなく、友達がほとんどいなかった僕にとって、本当に相棒という言い方がしっくりくる存在だったかもしれない。

そんなJOYと僕は、よく大学をさぼって、二人でツーリングに出かけた。

まあツーリングなんて言うとなんかオシャレで楽しげな感じはするけど、実際は、とんでもない山奥にある大学から、ただあてもなく国道沿いをひた走り、気づいたらまた別のとんでもない山奥にある空港にたどり着いていた、という

JOY

のかけらもない、ただただ孤独で殺風景な

不毛なドライブを繰り返していたに過ぎなかった。

でも、今では、そのときの映像こそが、まるで自分の青春の象徴みたいに、なんだかとてもキラキラしたものとして甦ってくるから不思議だ(これがいわゆる思い出補正と言う奴か)

しかし、なんとか大学に滑り込めたと言っても、周りの人たちと馴染めないのは相変わらずで、そんな僕の将来の展望を一言で表すなら、

お先真っ暗

以外の何物でもなく、とにかく毎日ひとりで途方に暮れていた僕にとって、このドライブこそが

まさに当時の自分の

心象風景そのものだったように思う。

排気ガスを勢いよく吐き出して走る大型トラックの間に挟まれながら、今よりずっと埃っぽかった国道2号線を昼夜問わず目的地もないまま、僕はただ走り続ける。

速度を上げるほど、フルフェイスのヘルメットの隙間から冷たい風がビュービュー入ってきて、そのときのヒリヒリとした痛覚に、

自分がまだちゃんと生きている

事実を再確認していた。

ちなみに、こんな面白くも何ともない話なら、本当に無限に書ける自信はある(笑)

しかし、たとえ面白くなくても、それは、どれもこれも、これこそが

僕の人生だ

って胸を張って言えるものばかりだ。

ちなみに、本当は、アメリカのファーゴというド田舎で、まったく仕事のやる気のないメキシコ人の現地スタッフと、地元のファミレスでひたすらダベっていたという話を書くつもりだったのだけど、急遽、気が変わって、この話を書いたのだった。

けど、たぶん言いたいことは多分同じで、今や職場の誰よりも精力にあふれ、楽しそうに仕事をしている僕も、一皮向けば、こーゆー虚無感やモラトリアムの固まりだということだ。

だから、出来ない理由を指折り数えるのはもう止めて、あなたももっと好き放題にやったら

なんて、輪郭がぼんやりとした誰かに向かって今日も呟いている。

そう、人生って、誰かに楽しくしてもらうものなんかじゃなくて、

たぶん自力で楽しむ(ENJOYする)ものだからさ。

で、それくらいに思ってたら、案外、くだらない友達に爆笑させられたりするものかもよ。

というか、まさに昨日の僕がそうだった(笑)

だから、僕も頑張るけど、まあ君も頑張れっ!







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