見出し画像

noteの交流で僕が心がけているいくつかのこと

僕は、交流が目的ではなくて、あくまで書くことを目的にnoteを続けているけど、それでも、正直に告白すると、これまで親しくしていた人から急にフォローを外されたり、無視されたことがきっかけでnoteを辞めたくなったことが何度かある。

というか、みんな少なからず同じような体験をしたことがあるのではないか、と思っているけど。

このとき何より辛いのは、理由が分からないこと、そして、その人がお互いに共通のフォロワーの人たちに対しては変わらず楽しそうに交流している姿をどうしても見てしまうことだ。

「どうして(これまであんなに親しくしていたのに)(僕にだけ)こんな酷いことをするんだろう?」

「人にこんなことしておいて、どうしてこの人は記事では人との繋がりの大切さや自分の優しさをアピールしているんだろう?」

リアルタイムでは、そんなふうに被害者意識に支配されて、心は殺伐として、もうこんなところ辞めてやると何度、思ったことだろうか。

しかし、それでもnoteで書くことを止めずに続けてきた僕がそのときのことを冷静に振り返ったときにいろいろと分かったことがあったので、それらを踏まえて今後、自分が同じような体験をしたときに肝に銘じておくべきいくつかの心得をここに備忘録的にまとめておきたいと思う。

其の壱 まずこの世界にいい人などいない(自分も含めて)という前提に立つ

その人はたまたま最初はなんとなくウマがあって仲良くなっただけの人なので、いい人だと思い込んではダメだ。あと、どんなにその人が人気者でもそれがいい人という証拠にならないのはリアルの世界を見れば分かるだろう。
そういう前提に立てば、「いい人だと思ってたのに」と思って余計に辛い気持ちになることを回避できる。

一方で、自分も同様に決していい人ではないことを自覚することも重要だ。少なくともどんなに無自覚だとしても、その人にとっては嫌な(不快な)人と思われるような言動をしているのは確かな訳だしね。そもそも自分はいい人だとか正しいとか思ってしまうと、さらに被害者意識が増して余計にしんどい思いをしてしまうからね。

まあ、人間関係のこじれに実はどちらが良い悪いなどはなくて、こうなってしまったのは単なる相性、性格の不一致のせいに過ぎない、と思うくらいが自分の心理的安全性の確保には間違いなくいいはずなんだよね。

其の二 避けられた理由は自分だけじゃなく相手にもある、という最低限の想像力(エンパシー)を働かせる

いい人じゃなく、その人がただの人という前提に立てば、自然と相手にも何らかの事情があったのだろう、という想像力が働くはずだ。

ちなみに、僕自身は、その人たちは実は心の余裕(余白)が少なくて、自分の心をザワつかせる人や言葉に対するストレス耐性が低いせいで、僕のことを排除したと想像している(そして、これって実は僕も含めてみんな割と無意識にやっていることでもあると考えている)まあこれもあくまで僕の勝手な想像に過ぎないから、あまり深掘りしないように注意したい。

そう、ここで大事なのは、

こうなったのは決して自分のせいだけじゃない(だからそんなに気に病まなくていい)

ということをしっかりと自覚することだけでいいのだ。

其の参 ちゃんと別れる

どんなにそのときは辛くても、覆水盆に返らず、人の気持ちは変えられないので、その人のことはできるだけ早く忘れたほうがいい。

たぶん、数ヶ月もすれば、ああいう人と別れられて面倒くさくなくなってむしろ良かったなあ、と思えているはずなので。

あと、不思議と感謝の気持ちすら湧くことだってあるかもしれない。確かにたとえ一時期だとしてもその人と交流して楽しかったのは紛れもない事実だからね。

其の四 ダメージを軽くするために自分ができること

とはいえ、こーゆーことされて心にダメージを負わない訳がない。特に、自分の気持ちが弱っていたり、リアルでもしんどい思いをしている状況なら尚更だよね。でも、その負の感情が蓄積して闇落ちして大切な友人や家族に八つ当たりすることほど辛いことはない。
(僕も何度かやらかしてしまった。みんな本当にごめん!)

だから、その最悪な事態だけは回避すべく最近の僕は心に受けたダメージがなるべく軽くなるように、あることを心がけている。

それは、つまり、自分にちゃんと自信が持てるように毎日を全力で生きることに他ならない。

毎日、昨日より少しでもよい自分、よりよい社会になるように必死にない頭を絞って誠実に目の前の世界に向き合うことでしか、おそらく真の自信は芽生えないだろうと僕は確信しているからだ。

そして、その日常の断片をnoteに綴ることもまたそんな自分のモチベーションの強化に貢献していると実感している。

そりゃあ、相手のせいにして、愚痴や陰口を吐いてりゃ、そのときはスッキリするかもしれないけど、それじゃあ実は何も問題は解決してないままだものね。

少なくとも僕はもう少し自分の力を信じたいとは思っている。

しかし、

言葉を扱うのって本当に難しいよね。

でも、どうせならお互いに出来るだけ他人に迷惑をかけずに楽しくnoteを続けられたらいいよね。

この記事が参加している募集

この経験に学べ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?